Top 記事一覧 体験談 妊娠37週(臨月)での発育不全、羊水過少による死産―当事者の声 その時 #09

妊娠37週(臨月)での発育不全、羊水過少による死産―当事者の声 その時 #09

赤ちゃんを望む人にとって、妊娠は幸せや希望に満ちあふれているものだ。
だからこそ、その赤ちゃんを失うことがいかに辛いことか想像に難くないだろう。心が壊れてしまうことだってある。それでも、ママはその先の人生を歩んでいかなければならない。

我が子を失って深い悲しみを抱えるママが、どのように赤ちゃんとのお別れに向き合い、どのようにこの先の人生を生きていくのか。同じように我が子を亡くし、暗闇の中で苦しんでいるママにとって、この先の人生の歩み方の1つの参考になればと思い、本コラムを執筆する。

妊娠37週/発育不全、羊水過小による死産

名前:池村七菜子さん(仮名)
地域:神奈川
職業:専業主婦
家族構成:ママ(33歳)、パパ(30歳)、お子さんがお空に1人
31歳のときに自然妊娠、妊娠37週(妊娠10ヶ月)に発育不全により死産

がんばり屋の息子とともに

今回インタビューに応じてくれた七菜子さんは、2019年28歳のときに結婚し、31歳のときに待望の第一子を妊娠したものの、死産となった。

赤ちゃんの病気がわかってからも、妊娠を継続し赤ちゃんを迎えるに至った彼女の決断とその時抱いていた感情、そして現在に至るまでの気持ちの変化を、誰よりも頑張ってくれた我が子に想いを馳せながら、時折涙を見せて話してくれた。

尽きない不安

私たち夫婦は結婚して数年経ち、そろそろ赤ちゃんが欲しいなと思いはじめて1年。不妊治療を考えた方がいいかもしれないと思っていた矢先、赤ちゃんを授かることができた。陽性の妊娠検査薬を見て夫と顔を見合わせて喜んだ。

それからの妊娠経過は順調だった。
19週の健診のときまでは——。

その健診で医師から「赤ちゃん、あまり大きくなってないね。ここでは判断できないから大きい病院へ行ってみて」と言われた。紹介先の病院でも同様に、赤ちゃんの小ささと新たに羊水の少なさを指摘され、さらに大きい病院を紹介された。

一体、我が子に何が起こっているのだろうか。でも、きっと大丈夫だよね?
湧き上がる不安を無理やりかき消そうとしながら、さらに大きい病院へ行くこととなった。

わずかな希望にかけて

2回目に紹介された病院へ行くころにはすでに21週になっていた。医師はエコーを診ながら、羊水が全くないこと、そしてこの子は生まれてから親の補助が必要な可能性があることを教えてくれた。

そんな……どうして私の子が……?

呆然としている私に、医師はさらに私を苦しめる言葉をかけた。

「このまま妊娠を継続するのか中断するのか、今日中に決めてください」

——中断って言った?諦めるってこと?

あまりに急な話に理解が追いつかなかった。医師に促されるまま、夫に電話をした。話し合いの末、夫は「七菜子の決断を尊重するよ」と言ってくれた。

なぜこんなに辛い選択を迫られるのだろう。やっとおなかに来てくれた待望の我が子だ。エコーを通しておなかの中で元気に動いている姿を愛しく感じていたのに、妊娠の中断を決断するなんてできるわけがない。補助が必要な子かもしれないと言われたことはもちろん不安だった。それでも、もしかしたらこれから羊水が増えてくるかもしれない、ちゃんと成長していってくれるかもしれない。

そんなほんの少しの希望にかけて、震える声で妊娠の継続を医師に伝えた。

受け止められない現実

24週を過ぎたころ、またも恐ろしい現実が襲ってきた。

主治医と新生児科の医師から説明を受けた。エコーでもMRIを撮っても赤ちゃんの腎臓が映らないようで、羊水がないのはおそらく腎臓の異常が原因だろうと。断定はできないが、ポッター症候群*(*両側の腎無形性や形成不全により羊水過少をきたし、肺低形成や四肢変形を生じる症候群)かもしれないと言われた。

そして最後に「赤ちゃんはおなかの外では生きられないだろう」と告げられた。

そんな——。

おなかに授かってから、生まれた我が子とともに過ごすあたたかな未来を想像していたのに。そんな当たり前と思っていた未来が訪れないことを、どうしても受け入れられず、医師の説明を聞きながら嗚咽を抑えきれず涙をこぼした。

医師からは2つの方針が示された。
1つ目は、ある程度の週数で早めに帝王切開をして、生きた赤ちゃんと会うこと。高齢出産や最後の妊娠の予定なら勧めるが、今の私にはあまり勧められないと言われた。
2つ目は、赤ちゃんと長く一緒に居るためにおなかの中にいさせてあげること。その場合、おなかの中で心臓が止まってしまう可能性も高いと言われた。どうするか医師に問われ、夫と話し合った。感情はぐちゃぐちゃだったが、できるだけ長く我が子と一緒の時間を過ごしたいと思った。おなかの中では同じ景色は見られないかもしれないけれど、それでもおなかの我が子と3人で出掛けたりして、一緒に過ごす時間を作ろうと決心した。

それからの健診では、少しずつではあるが、赤ちゃんも大きくなってくれていた。医師も「赤ちゃんよく頑張ってるね」と言ってくれて誇らしかった。不安がつきまとう毎日だったが、頑張ってくれる我が子がとにかく愛しくて仕方なかった。

別れが訪れた日

そして、まもなく正期産の時期を迎える35週のころ。血液検査のあと、念のため赤ちゃんの状態を確認するためにエコーで診てもらった。

「あ……心拍、止まっちゃったね」

その言葉を聞いて、一気に血の気が引いた。今もこのおなかの中にいるのに、この子の命は終わってしまった……?実感が湧かないなか、エコーを見た。動かない我が子を見た途端、終わってしまったんだと感じ、溢れ出す涙を止められず、声を上げて泣いた。その日は色々な説明を受けたはずなのに、何も覚えていない。家に帰った記憶すらも忘れてしまっていた。

入院するまで10日間ほど時間があった。その間、赤ちゃんとの時間を大切にしたいと思い、何か赤ちゃんにしてあげられることはないだろうかと考えた。

赤ちゃんの心臓は止まってしまったけれど。

戸籍には残らないけれど。

それでもちゃんと名前をつけてあげたい。

——そう思った。

小さかったので生まれるまで性別がわからず、名付け本を見ながら男の子にも女の子にもつけられる名前を探し、「れん」がいいね、と夫と2人で決めた。

「蓮」——泥の中からでも花を咲かす強い花

体に異常がありながら、ここまで頑張ってくれたのだ。まさに我が子にぴったりの名前だ。

出産を間近に控えて、蓮に会いたい気持ちと会うのが怖い気持ちがせめぎ合っていた。おなかで育ててきた大切な我が子、会いたくないわけがない。でも、蓮はどんな姿で生まれてくるだろう。同じような症状の赤ちゃんの写真をネットで検索して見てしまっていた。私は我が子を受け入れられるのかな……。こんな感情を持つこと自体にも罪悪感を感じて苦しかった。それでも、蓮はここまで頑張ってくれたんだ。出産の恐怖は消えないけれど、次は私が頑張る番だよね。

ねぇ、蓮。ママ、頑張るよ。

ラミナリアで子宮口を広げ、翌日には陣痛が来たため、そのまま出産となった。
生まれたときには夫はまだ病院に到着していなかった。1人で蓮に会う勇気はまだ持てなくて、出産後すぐには会わなかった。

入院部屋に戻って夫が合流してから、ついに蓮と対面した。蓮を見てすぐに、精一杯がんばってくれたんだなぁと愛しさが込み上げてきて、涙で景色が滲んだ。不安に思っていたことが全部吹き飛ぶくらい、我が子はやはり可愛かった。

幸運にもグリーフケアに力を入れている病院だったので、助産師が「赤ちゃんとこういうことができるよ。どういうことがしたい?」と、色々提案してくれた。写真を撮ったり、手形や足形もとった。添い寝もできると言われたが、勇気が出ず、その日は添い寝することができなかった。退院の前日に勇気を出して一緒に寝ることにしたが、冷えきった息子の体温を感じ、とても辛かった。しかし、もう一緒に寝られる日が来ないことを思うと、生まれた日も一緒に寝てあげればよかったかもしれない。そんなことを一晩中考えてしまい、その日は眠れなかった。

息子のいない産後

退院の翌日が火葬予定日だったため、その日は自宅へ連れて帰った。火葬を目前にして、これが家族3人で過ごす最期の時間だと思うと堪えきれず涙が出てくるが、たくさん写真を撮ったり、話しかけたり、ぷにぷにのほっぺを触ったりして、蓮の姿をしっかり目に焼き付けようと大切に過ごすことができた。

火葬も、体が小さいのでお骨が残るか心配だったが、しっかりと残ってくれた。蓮は最期まで頑張り屋さんだね、ありがとう。

その後の息子がいない生活は辛く寂しい上に、産後の体も悲鳴をあげていた。心も体も壊れてしまったのか、2ヶ月近く毎日泣いて、泣き疲れては眠って過ごした。今、当時を思い出そうとしても、何を考えて過ごしていたのか覚えていない。それくらい、心身ともに疲弊していた。

そんな私の心を救ってくれたのは、同じように我が子を失う経験をしたママとの繋がりだった。

1人じゃない

七菜子さんはSNSを積極的に利用していた。妊娠が発覚したときはマタニティアカウントを作って、同じ週数のママとの交流を楽しんでいた。しかし蓮くんの発育不全が疑われてからは、妊娠経過が順調なママたちとの間に壁を感じ、そこに居場所がなくなったように感じたと言う。

蓮くんの心拍が止まったころ、あまりにも辛く、気持ちを吐き出す場所が欲しくて、入院の前に改めてアカウントを作った。誰にも言えなかった苦しい気持ちを呟いてみたら、あたたかい言葉をかけてくれる方が多くて、とても感謝していると七菜子さんは語る。産後もSNSを通じて同じ経験をしたママの話を聞いていると、「あぁ、私1人じゃないんだな」と感じることができたそうだ。

我が子が残してくれたもの

当事者にしかわからない気持ちがある。それはどんなに仲の良い友人でも、経験していない人にとって心の底から理解できるものではないだろう。

七菜子さんは、SNSを通じて同じ境遇のママに出会って交流できたことで、1人じゃないと思えて、とても心強かったと語る。

赤ちゃんとお別れしたママに、あなたは1人じゃないよと伝えたいと話してくれた。

七菜子さんは、蓮くんがおなかの外では生きられないとわかってから、「赤ちゃんを亡くしたママはどうやって向き合って生きているのだろう?」と赤ちゃんとの向き合い方や自分の生き方を模索していたそうだ。そして、ある当事者のコラムに辿り着いた。そこには「この経験は乗り越えるものとは違う。辛さや悲しみとともに生きていく」と書かれていた。

「息子を亡くしたことはとにかく悲しくて辛い経験でした。生きててほしかったし、子育てもしたかったから……。でも辛いだけで終わらせたくないなと思いました。私が息子と出会えたことは決して消えるものではないです。悲しみや辛さを抱えながら、ともに生きていくんだなと思っています」

七菜子さんは最後に、蓮が巡り合わせてくれた人々との出会いを大切に、これから生きていきたい、と微笑んだ。

SORATOMOは、当事者の方々に寄り添いたいという目的のもと運営している。当サイトを通じて、当事者の方が「1人じゃない」と感じ、暗闇の中から一歩踏み出すきっかけとなることを願うばかりだ。

(写真=七菜子さん提供/取材・文=SORATOMOライター 村木まゆ)

<参考文献>
ポッター(Potter)症候群|小児慢性特定疾病情報センター|2024.5.29取得


この記事は、2024年5月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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