Top 記事一覧 体験談 妊娠18週での子宮内感染による後期流産―当事者の声 その時 #12

妊娠18週での子宮内感染による後期流産―当事者の声 その時 #12

妊娠や出産といえば、赤ちゃんが無事に誕生し未来への希望に満ちあふれた幸せなものと認識している方が多いだろう。そのためか「赤ちゃんとのお別れ」は、あってはならないことのようにタブーとして扱われることが多い。さらに、情報が乏しく理解してくれる人も少ないのが現状だ。その結果、当事者たちは、周囲の無理解により「お別れ以外の苦しみ」にもさらされることがある。

今回のインタビューでは、そんな苦しみの経験をしたママが話を聞かせてくれた。

妊娠18週/子宮内感染による後期流産

名前:畠中香織さん(仮名)
地域:大阪府
職業:看護師
家族構成:ママ(31歳)、パパ(32歳)、お子さんがお空に1人、地上に1人(0歳)
1人目は子宮内感染により後期流産となり、その後2人目を出産した。

今回インタビューに応じてくれた香織さんは、2020年に結婚し、2021年に第一子を妊娠したが、後期流産となった。動転した状況の中、赤ちゃんとのお別れに関する情報提供の少なさや周囲の理解が乏しいことを実感したそうだ。そんな苦しみの日々をあふれる涙とともに吐露してくれた。

幸せな日々

もともと子どもが欲しいと思っていたので、夫と結婚してからすぐに妊活を始めた。しかしなかなか授からず、1年ほど経って不妊治療クリニックの門を叩いた。そこからタイミング法を約半年続け、人工授精にステップアップしようかと考えていた矢先に妊娠がわかった。

私は妊娠がわかってすぐに、夫にどんな形で報告しようか心を躍らせた。可愛い箱と包装紙、そして詰め物を買ってきて、陽性の2本線がくっきりと残った妊娠検査薬を丁寧にラッピングした。「パパになるよ」と書いたメッセージカードを見て、夫は驚きつつも心から喜んでくれた。

エコーで赤ちゃんが人の形に見えるようになった頃から、夫が赤ちゃんのことを「ぐーちゃん」と呼ぶようになった。夫のあだ名に由来した名前で、私も夫もとても気に入っており、2人でおなかの我が子に向かって幸せな気持ちでよく語りかけていた。

突然の出産

妊娠18週を迎えたころ、神社へ赴き安産祈願をしてもらった。

「ぐーちゃんが無事に元気に生まれてきますように」

——そう祈った翌日だった。

仕事中に、腰に鈍痛のようなものを感じた。職場には産科での勤務経験がある同僚もおり、相談すると激しい胎動じゃないかと言われたが、少し心配になった。仕事が終わったあとにかかりつけの病院へ電話をしたら、受診するように言われたので、そのまま職場から病院へ向かった。

職場から病院までは車で1時間ほどかかる。向かう途中に何度か時計を確認していたら痛みが一定間隔で訪れていることに気付いた。

大丈夫……だよね?

嫌な予感に汗が滲むが、この時はまだ耐えられる程度の痛みだった。

ようやく病院に到着し待合室に案内されたが、どんどんと痛みが強くなってきて、座っていられず椅子から転げ落ちて痛みに耐えていた。待合室に居合わせた妊婦さんが看護師を呼んでくれて、すぐに診察室で確認してもらった。「ここでは対応できないからすぐ大学病院へ搬送します。向こうへ行ってみないとどうなるかわかりません」と言われた。運ばれる救急車のなかで、足元の掛け物が血で汚れているのが見えた。

あぁ、もうだめだ……。

ぐーちゃんも頑張っているのだから、私が諦めてしまったらいけないのに。そんな気持ちとは裏腹に、痛みはますます強くなってくる。とにかくこの痛みから早く解放されたかった。

ぐーちゃん、ごめんね。自分のことばかり考えて、早く痛みから逃げたいと思うなんて……。痛みで朦朧とする意識の中でぐーちゃんへの罪悪感が渦巻いていた。

大学病院に着いて診てもらうと、もう赤ちゃんをおなかに戻すことはできない状態だからこのまま出産になると言われた。

——そして、強い痛みで疲弊するなか、ようやくぐーちゃんが生まれてきたのだった。

とても小さい我が子だが、スッと鼻筋の通ったべっぴんさんだった。

可愛い、と思ったのも束の間に「赤ちゃんを綺麗にしますね」とぐーちゃんを連れていかれてしまった。そのまま分娩台の上で2時間ほど説明もなく放置され、ぐーちゃんはどうなったのか不安でいっぱいになった。

寄り添いのない空間

産後は、産科ではなく婦人科の大部屋に入院することになった。最初は「赤ちゃんに会いたかったら連れてくるので、声をかけてくださいね」と言われたが、それ以降は一度も声掛けはなかった。私自身も看護師をしているので、病棟の忙しさを理解できてしまい、声をかけることができなかった。

入院中は、コロナ禍のため夫との面会もできなかった。食事は出てくるけれど、「ぐーちゃんはもうおなかに居ないのに、なんで栄養を摂らないといけないんだろう……」と、そんなことを考えながら、一人きりで朝から晩までひたすら泣いて過ごしていた。

今回の後期流産は子宮内感染が原因のものだった。

私が感染を起こしたせいで大事な我が子が生きていけなくなってしまったんだ……。私のせいで……ぐーちゃん、ごめんね。

医師は「防ぎようがなかった。お母さんのせいじゃない」と言うが、どうしたって自分を責めてしまい息が詰まるほど苦しかった。

そんな悲しみと辛い気持ちをたった一人で抱えて過ごしていたのだが、病院のスタッフは血圧測定と内服確認のために来るだけで、親身に話を聞いてくれる様子もなく私のメンタルケアは置き去りにされていた。

しかも大部屋の他の人にも聞こえる声で「赤ちゃんの火葬の日は決まりましたか?」と聞いてくることもあった。

「当時は余裕がなくて、あまり何も感じてなかったです。でも今となっては、そんなデリケートなことを他人に聞こえるところで言われたこともどうかと思うし、ぐーちゃんとの時間を過ごしたり、自分の気持ちを大事にするためにもっと要望を言えばよかったなと思います」

火葬については、病院から葬儀会社を紹介してもらった。そこのパンフレットには赤ちゃんの火葬について「22週未満の場合はお骨上げは推奨しません」と書かれていた。その時は自分で調べる精神的余裕もなく、そういうものなんだと思った。

お別れの日は、病院の配慮により夫とぐーちゃんと3人で院内の面談室で会うことができた。病院で購入した小さい赤ちゃん用の花柄の産着をぐーちゃんの体にかけてあげたり、3人で写真を撮ったりして大切に家族の時間を過ごした。夫には、ぐーちゃんが寂しくないようにとぬいぐるみを買ってきてもらった。手形と足形は私の知らないうちに病院側がとってくれていたようで、ぐーちゃんの記録をカードにして渡してくれた。

夫と2人でぐーちゃんを囲み、おなかの中にいたときの思い出を話したりしながら、悲しみの中にもあたたかい時間を過ごすことができた。

その後、面談室に葬儀会社の方が訪れた。

ひよこ柄のクッションを敷いた可愛いクーファンを用意してくれていて、そこにぐーちゃんは寝かされた。葬儀会社の方に我が子を預け、ぐーちゃんは私たちのもとから旅立っていった。

退院してしばらくしてから「天使ママ」という言葉を知り、SNSで検索して投稿を見ることが増えていた。ふと、ぐーちゃんと同じ週数で亡くなった子のママの投稿が目に留まる。「火葬を終えてお家へ帰ってきました」と赤ちゃんのお骨が入った骨壷を自宅へ持ち帰っているのを見て、目を疑った。

お骨ってこんなに小さくても残るものなの……?だったら私もぐーちゃんをお家へ連れて帰りたかったのに!

ぐーちゃんがいた証は、臍の緒と写真だけしかない。お骨がないと、抱きしめることもできないし、本当にぐーちゃんはいたのだろうかと不安になってしまうのだ。堰を切ったように涙があふれてきた。

それと同時に葬儀会社のパンフレットの記載に疑問が湧いてきた。もし「推奨しません」ではなく「22週未満の赤ちゃんはお骨が残らない可能性があります」といった記載だったら、お骨が残ったらお家へ連れて帰ろうと思えたかもしれない。どうして誰も教えてくれなかったの?

ちゃんと調べれば良かった。

でも調べる余裕なんて、あのときは全くなかった。

ぐーちゃんのお骨はもう二度と戻ってこない。悔しくてたまらない。

——涙が止まることはなかった。

友人からの言葉が苦しい

お別れのあとは、周囲の人との関係にも苦しんだ。

私の流産と同時期に出産した友人から、出産祝いのお礼がしたいからぜひ会いたいと連絡がきた。ぐーちゃんとお別れしたばかりの私には、赤ちゃんを見るのも子どもの話になるのも辛すぎるのに、どうして誘ってくるのだろう……。しかし「赤ちゃんに会いたくない」と言うのは憚られたため、用事があるからと何度も断った。それでも誘いが続いたため、「今の私には子どもの話は正直辛いから申し訳ないけど行けない」とはっきり伝えることにした。友人は「そこまで考えられてなくてごめん」と言ってくれた。

何も言わずとも、我が子を亡くして辛い気持ちでいることは分かってくれると思っていた。でも、はっきり言わないと当事者の気持ちは驚くほど周囲の人に理解してもらえないと実感した出来事だった。

また、別の友人から「元気にしてる?」と連絡が来たときは、心が拒絶してしまい距離を置くことにした。我が子を失って元気なわけがないのだから。

しかしこのまま縁を切ってしまっては、相手も何が悪かったのか分からないままだと思い、「あの時こう言われて辛かった」「こういう声かけのほうがありがたい」と伝えた。友人は、こういうときの声のかけ方にかなり悩んでいたようで、「そういう言葉の方が良かったんだね。辛いのに伝えてくれてありがとう」と答えてくれた。

こうやって伝えることで当事者の気持ちに少しでも歩み寄ってもらえたらと思った。

伝えることの大切さ

香織さんは、ご自身の経験から実感したことを教えてくれた。

1つ目は、赤ちゃんとしたいことを伝えたり、できることを聞いたりした方が良いということ。

香織さんは、ぐーちゃんとの時間があまり作れず、何をしてあげられるのかも当時は全くわからなかったという。そしてお骨を持って帰れなかったことも大きな後悔となっている。

2つ目は、自分が思っていることやこうしてほしいという希望をストレートに伝えたほうが良いということ。

当事者の気持ちは、言葉にしなければ意外と周囲の人に理解してもらえないことが多いのだ。

元気に生まれると思っていた赤ちゃんを失うというのは、その瞬間の悲しさだけではなく、喪失感や自責、孤独感などさまざまな感情がある。周囲の理解が乏しいからこそ、悪意はなくても傷つける言葉を発してしまうことがある。

周囲と距離を取るのも1つの手段ですけど、その前に自分の気持ちを言葉にして伝えてみると良いかもしれません、と話してくれた。

香織さんが感じていることは、きっと多くの当事者に通ずるものだろう。我が子とお別れして悲しみや混乱の中にいる、まさにその瞬間に、周りから適切なフォローが得られない現状は解決すべき課題だ。国や自治体、医療機関において、赤ちゃんを亡くしたママへ向けた情報提供の仕組みがきちんと構築されていってほしい。

また、この当事者の体験談が、周囲の方が赤ちゃんとお別れしたママの気持ちを考えるきっかけとなってくれれば嬉しい。多くの方に読んでいただくことで「お別れ以外の苦しみ」を感じる当事者が少しでも減ることを願っている。

著者(写真=香織さん提供/取材・文=SORATOMOライター 村木まゆ)


この記事は、2024年6月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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