Top 記事一覧 体験談 妊娠19週での前期破水による後期流産―当事者の声 その時#14

妊娠19週での前期破水による後期流産―当事者の声 その時#14

赤ちゃんとのお別れは、自らの人格や感じ方、そして人生までも壊してしまうほどの経験である。それにより、社会との繋がりを意識的に断ち、人間関係が希薄になっていく傾向がある。ただでさえ、タブー視されやすい『赤ちゃんとのお別れ』を、誰にも話すことができず頼れない場合もある。孤独を感じたママは、我が子とのお別れについて頭の中で反芻する。赤ちゃんの死のほとんどは原因不明であり、「元気な赤ちゃんに会いたい」と思っていたのは誰よりも自分自身のはずなのに、死別の原因を自分のせいだと決めつけて責めてしまうのだ。

私は、我が子の死別に対して自責の念に駆られるのは、愛情の表れだと感じる。愛情が深ければ深いほど悲しみも大きくなり、「あの時ああしていれば」と後悔することもある。このような想いは、赤ちゃんがおなかの中に宿った時から紡いできた親子の絆があるからこそ、生まれるのだと感じる。

インタビューに応じてくれためぐみさんも、その一人である。当時のめぐみさんの心の変化を、ありありと語ってもらった。

妊娠19週/前期破水による後期流産

名前:高田めぐみさん(仮名)
地域:関東
職業:WEB関係(お別れ当時:正社員、現在:派遣社員)
家族構成:ママ(35歳)、パパ(33歳)、お子さんがお空に1人
2023年12月に第一子を妊娠。2024年3月、前期破水によって羊水が減少してしまい、その一週間後に子宮内胎児死亡のため後期流産となった。

産声がないとわかっていて臨む出産は、どんなに悲しく絶望的な気持ちになるんだろう――。

入院してから一週間、どれだけの悲しみと後悔に苛まれただろうか。この後、我が子の姿を見たら、どんなに悲しく絶望的な気持ちになるんだろうか。

病室の窓から、薄ピンクに色づいた小さな蕾をつけた桜の木が見える。私の心とは相反して、嫌になるくらいの快晴だった。この子と一緒に桜を見たかったな……。

いよいよ診察室へ移動し、我が子と会うための準備が始まった――。

神様からのクリスマスプレゼント

私たち夫婦は、2021年に結婚した。仲睦まじい結婚生活を送り、2年が経過した頃。「そろそろ子どもが欲しいね」と夫婦で話し始めていた時のことだ。

2023年12月。妊娠していることがわかった。まるで神様からのクリスマスプレゼントのようだった。私たちは新しい家族ができることを心から喜び、我が子に会えるその日を楽しみに思うようになった。

産婦人科で診てもらったエコーで子宮筋腫が見つかり、流産するかもしれない不安でいっぱいだったが、その後の妊娠経過は至って順調だった。

人生で一番辛い時間 

妊娠18週の頃。いつもと変わらない夜を過ごしていた。

そろそろ床に就こうと立ち上がったとき、便意のような感覚があったためトイレに向かった。便座に腰かけると、重い痛みが押し寄せ、何かよくわからないがとても大きなものが出そうな感覚があった。数分後、立ち上がって便器を覗き込むと、5cmくらいの白い玉のようなものが見えた。この状況に恐怖を感じる間もなく、その後すぐに股からパシャッと水が出てきた。破水したことを確信した。

やばい。どうしよう。
急いで病院に行かなきゃ。

すぐにお風呂に入っていた夫へ声をかけ、夜間でも診てくれる病院を必死に探した。パニック状態でありつつも、我が子を守るために冷静であろうとする自分もいた。

ようやく対応してくれる病院が見つかり、そのまま入院になる可能性が高いため、入院の準備をするように言われた。夫に協力してもらいながら準備を整えて、急いでタクシーで病院へ向かった。

当直の医師がエコーを診る。重々しい空気の中、医師はこう告げた。

「赤ちゃんは元気だけど、羊水はもうほとんど無い状態だね。破水しているだろうから、すぐに陣痛が来て出産になると思う。今の医療では、妊娠18週だと赤ちゃんを助けることはできないから、妊娠の継続は難しいです」

愕然とした。信じられなかった。まるで心をナイフで刺されたような衝撃だった。
ただただ夫の手を強く握って心を落ち着かせようとした。人生の中で一番辛い時間だった。

――その日はそのまま入院となり、夫と別れた。

憔悴した心

入院中は、陣痛がいつ来てもおかしくない状態のため、ベッドで安静に過ごす毎日だった。破水した状態のままでいると、細菌が子宮に入って感染症を起こす危険性があるため、毎日3~4回抗生剤の点滴を打っていた。

こんなに悲しい想いをするくらいなら、いっそのこと妊娠なんてしない方が良かったかな。
私のせいで夫や夫の家族に悲しい想いをさせてしまった。仕事が忙しくなければ、破水することもなかったのかな……。

そんな自責と後悔の気持ちが涙と一緒に止めどなく溢れた。正直、我が子のことより、自分や周囲の人に対する申し訳なさでいっぱいだった。泣き腫らした瞼は重く、心身ともに疲れているはずなのに一睡もできなかった。横になって安静にしていても、ずっと羊水が流れているような感覚がある。運ばれてくる食事には手を付けず、声を出すことすら忘れていた。

そんな精神状態の中、残酷にも医師から人工流産の選択を考えておくように言われた。赤ちゃんが妊娠22週まで生きながらえたとしても、重度の障がいが残る可能性がある。考えたくもなかったが、我が子とのお別れについて考えなければならなかった。この数日、怒涛のような日々だった。経験したことのない衝撃と悲しみに襲われ、一気に闇の中へ引き摺り込まれたような感覚だった。それなのに、この後のことを考えなければならない。私の心は憔悴しきっていた。

懸命に生きる命

病室に助産師が入ってきた。いつものように、抗生剤の点滴を交換する。助産師が優しい声色で話しかけてきた。

「破水したのは、赤ちゃんが早くママとパパに会いたかったからかもね。きっと、ママに休んで欲しかったんだよ。羊水がなくなっても頑張って生きてるなんて、強くて優しい子なんだね」

生きる気力を失った私に、あたたかい言葉をかけてくれた。それと同時におなかの中の赤ちゃんが、まるで私を励ますようにポコポコと動く。

――そうか、この子はまだ懸命に生きている。私がご飯を食べないと、赤ちゃんも元気になれないよな。

赤ちゃん自身が「生まれたい」と思ったら陣痛は来るだろうし、「もう疲れたな」と思ったら心拍が止まるだろう。夫婦で話し合い、赤ちゃんの意思を尊重し、妊娠を継続することを決意した。そして、「この子のために自分ができることは、産んであげることだけだ」と覚悟を決めて出産までの時間を過ごした。

止まってしまった心音

入院してから一週間が経過した。

その日の夕方頃から、何となくおなかがチクチクと痛んで違和感があった。すぐに症状を看護師に伝え、超音波ドップラーで心音を確認してもらった。いつも聞いていた心音より、かなり弱々しく、かすかにしか聞こえなかった。

改めて当直の医師に確認してもらい、その翌朝にも複数の医師に確認してもらったが、心拍が停止していることがわかった。

入院してから一週間あったため、ある程度は覚悟していた。きっと、疲れてしまったのだろう。我が子の意思を尊重すると決めたのだ。受け入れるよりほかない。静かに涙が頬を伝う。心拍が止まってしまったことを夫へ連絡した。

産声のない出産

医師から今後の流れを説明された。子宮口を広げるために、その日の夕方と夜にラミナリアを挿入するようだ。元気な赤ちゃんに会えるのであれば、どんな痛みにも耐えられるだろう。ただ、この子はそうではない。産声がないとわかっていて臨む出産は、どんなに悲しく絶望的な気持ちになるんだろう。そんな中、痛みに耐えられるのだろうか。できることなら無痛分娩が良かったが、小さな病院だったため選択できなかった。我が子と対面することへの不安と痛みに対する恐怖心が入り交じった状態で、出産へ臨んだ。

――陣痛がついてから2時間くらいで赤ちゃんが生まれた。

もともと破水していたこともあって、スムーズな出産だったようだ。産後、どんなに絶望的な気持ちになるんだろうと不安に思っていたが、とても幸せな気持ちで我が子に会うことができた。小さくて、とても可愛かった。我が子に対面する前から、助産師に「可愛いから楽しみにしててね」と言われていたが、本当にその通りだった。私も夫も涙は溢れていたが、表情には自然と笑みがこぼれていた。

生まれた後にとった小さな足形

自分の幸せのために生きる人生

めぐみさんは、我が子とのお別れを経験して、人生が大きく狂ってしまったと語る。

「人生という意味では、母親になれると思っていたのになれなかった。同じ時期に会社の事情で仕事を辞めざるを得ない状況だった。人間関係に関しては、妊婦の友だちや小さいお子さんがいる友だちに会いにくくなってしまって。妊婦や赤ちゃんを抱っこしているママを見ると、目を背けるようになってしまいました。自分の人生が狂ってしまったようでした」

赤ちゃんとのお別れは、自分の感じ方や人格、今まで築き上げてきた人間関係、自分自身の人生も、何もかも変わってしまう出来事である。それほどに、辛く、悲しい、破滅的な衝撃なのだ。同年齢の友人は、同じく妊娠していたり、既にママになって子育てをしていたりする。めぐみさんの場合は、同時期に会社を辞めざるを得なかったため、社会との繋がりも無くなってしまった。『赤ちゃんとのお別れ』は、ただでさえタブー視されやすく、経験者同士でも声が届きにくい。めぐみさんは、友人や同僚に話すこともできず、生きにくいと感じることが多かったようだ。

しかし、そのような苦しみを抱えながら日々を過ごす中で、少しずつ考え方が変わってきたそうだ。その心境の変化をこのように語った。

「起きてしまったことを後悔しても、もう戻れないから……。そういった悲しい出来事も自分を形成する一部なんだと受け止めています。他の人を羨ましく思う気持ちもあるし、涙が溢れるときもあるけれど、感情の波とうまく付き合っていく必要があると思っています」

現在は、読書や観葉植物を育てることなど、今までにやったことのない趣味を見つけて毎日を精一杯生きている。感情が溢れてしまう日は、ノートにその時の想いを綴っているそうだ。今後どんな人生を送りたいかというビジョンが見えて、気持ちの整理がつく効果的な方法だったようだ。『心と体が健康であり、自分の幸せのために生きる』ことを軸に、少しずつ未来を見据えて人生を歩んでいる。

最後に、日々を懸命に生きる当事者へ向けて、めぐみさんからのメッセージを綴る。

「悲しかったらいくらでも悲しんでいいし、無理に元気になる必要もない。こんな壮絶な経験をしているのに、生きているだけで、息をしているだけで偉いんだから」

著者(写真=めぐみさん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)


この記事は、2024年10月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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