Top 記事一覧 体験談 妊娠20週での左心室低形成症候群による人工流産―当事者の声 その時 #02

妊娠20週での左心室低形成症候群による人工流産―当事者の声 その時 #02

妊娠出産には一人ひとり、様々なエピソードがある。
無事に生まれてくることをどれだけ願っても、その願い通り赤ちゃんが生まれてくるとは限らない。何の問題もなく、胎児が成長するとは限らない。
胎児に異常が見つかったとき、生まれてからどんな世界が待っているか想像し、決断を迫られるときもある。過酷な現実を突きつけられたとき、ママパパはどのようなことを考えるのだろうか。他人が正解不正解を決めることなどできないし、責めたり咎めたりこともできない。
大切な我が子のことを一番に考えるママパパが、考え抜いた末の決断なのだから。

妊娠20週/左心室低形成症候群による人工流産

名前:田原 由香里さん(仮名)
地域:栃木県
職業:看護師(パート)※出産時は無職
家族構成:ママ(28歳)、パパ(27歳)、お子さんがお空に2人(1人は早期流産)
不妊治療(体外受精)にて27歳で妊娠、妊娠19週(妊娠5ヶ月)に左心室低形成症候群の診断を受け、妊娠20週(妊娠6ヶ月)に人工流産を選択した

桜の季節に生まれた子

「家族3人の思い出がないと後悔すると思って、桜を見にいこうって夫に言ったんです」
由香里さんが涙ながらに語ってくれた。

人工流産を決めてから入院までの5日間、初産の上に我が子との別れをむかえるという恐ろしい現実が、28歳の夫婦に重くのしかかった。何も考えたくない、少しでも楽しいと思えることをしよう……現実の直視を避けるように、新しくゲームを購入し夫婦で四六時中プレイした。しかしある時、由香里さんはハッとした。

「このまま息子を見送っていいのだろうか、後悔しないだろうか」

そんな気持ちと季節が重なってか、由香里さんはふと、桜を見たいと思った。家族3人と大きく立派な桜の木が写った写真は、これから出産をむかえる由香里さんの支えとなった。

「まだ若いから」という呪い

由香里さんは、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)という疾患を抱えている。この疾患は、一般的な不妊症の原因とされている。
当時の職場の同期とたまたま受けた子宮頸がん検診の際、発覚したそうだ。この疾患のため妊娠しづらいだろうと医師に告げられ、不妊治療を始めることとなった。
その後、最初の子は1年ほどで授かった。心拍が確認できたので、職場に妊娠を報告してしまったが、2回目の診察の際に稽留流産となった。そんな中、職場の同期や先輩、さらには後輩までもが妊娠し、無事赤ちゃんをむかえている状況が続く。妊婦である同僚と働く辛さや、夜勤で身体に負担がかかっていたこともあり、退職をする決意をした。
退職したことで時間に融通がきき不妊治療に取り組みやすくなった反面、妊娠のことで頭がいっぱいになった。由香里さんは、当時25歳。地域柄、若くして結婚、出産する人が多いこともあり、焦りは募る一方だった。

「まだ若いから大丈夫だよ」

幾度となく周囲から浴びせられる言葉。疾患を抱え、実際に赤ちゃんをむかえることができない由香里さんにとって、その言葉に安心することはなかった。さらに夫に不妊の原因がないことも、由香里さんの焦りに拍車をかけた。
私の身体のせいでごめんなさい、パパにしてあげられなくてごめんなさい。
心の中で、何度も夫に謝罪した。

不安しかない日々

胚移植をむかえ受精卵を子宮に戻す際、真珠のようにキラッと光ったことに感動し、今回は大丈夫かもしれない、と本能的に感じた。これまでのこともあるため、安心と不安が入り混じり、不安定な気持ちのまま毎日を過ごしていた。
妊娠9週で不妊治療クリニックを卒業し、出産する病院へと足を運んだ。

「NT*はどうですか?」

(*Nuchal Translucencyの略。胎児のうなじ付近の皮膚の下の厚みのこと。NTが厚いとむくみがあると考えられる)

SNSで知り得た情報を頼りに、何気なく医師に尋ねた。一瞬シーンと静まり、医師が口を開いた。
「ちょっと見てもらっていいかな?」
由香里さんが医療従事者であることを知っている医師は、エコーを見せながら頭からお尻まで広い範囲でむくみが出ていることを指摘、嚢胞性ヒグローマ(赤ちゃんの頭部や首の後ろに現れる異常な嚢胞状構造を指す医療用語)と説明した。むくみは、由香里さんの目で見ても明らかだった。
駆けつけた夫とともに、改めて嚢胞性ヒグローマの説明を受けたが、医師曰く、嚢胞性ヒグローマがある場合、赤ちゃんに何かしらの異常があることが多いが、最悪の状態とは限らないとのこと。
赤ちゃんは生きているし、このまま経過観察していきましょう、と言われた。

不妊治療を卒業し、妊娠継続の喜びを感じていた矢先の出来事で、また不安に襲われた。家に帰りSNSやネットで検索するが、ほとんど情報がなかった。ようやく見つけた情報には、80%に何かしらの異常、残り20%が内臓や身体的な異常があり、全体の10%しか生きられないと書かれていた。
情報が少ないとわかりつつも、毎日検索を繰り返した。この子は生きていけるのか、今後どんな異常に見舞われるのか、毎日不安を感じながら生活をしていた。

嚢胞性ヒグローマがあるということで、毎週通院することになり、他の異常が見られないか、医師は丁寧に診てくれた。
「脳も異常ないね。身体も……大丈夫だね。だんだんむくみも減ってきているね」
医師に告げられ、少しずつ由香里さんの不安な気持ちも和らいでいった。

個性として受け止める

嚢胞性ヒグローマがあると、胎児に染色体異常が見られる可能性が高い。そのため、医師から羊水検査を勧められた。羊水検査をするかどうか、2人で話し合った。
もし検査を受けて陽性だったとしたら、どのような可能性があるのだろう。染色体異常があったり、奇形の可能性があったらどうしよう。おなかの中で動く我が子。自分ではない存在を身体の中に感じるようになり、より一層由香里さんの不安は強くなった。そんな由香里さんに、夫はこんな言葉を伝えた。

「生まれてからでも怪我や事故だって起こる。だから、どんなことが起こってもその子の個性として見てあげよう。僕たち夫婦で、その子が幸せと思えるようにしてあげよう」

夫の言葉は、由香里さんの恐れや不安を軽くしただけでなく、我が子に対する愛情もより深くした。夫婦で羊水検査を受けることに決めた。結果を待つ日々は地獄のようだったが、陰性だとわかったとき、由香里さんは医師の前で大泣きした。

安堵から一変

羊水検査が陰性とわかり、安堵の日々を過ごしていた由香里さん。
ある日の健診で、心臓の専門家にエコーを見てもらうことになった。赤ちゃん、今はこんなポーズをしているよ、とたわい無い会話が続いた。次は心臓ね、と心臓に移った瞬間、エコーを確認する手が止まった。どうですか、と由香里さんが声をかけても、次は産科の先生の診察があるからちょっと待ってね、と流された。再び不安に襲われた。
夫にきてもらい、医師からの診断を聞いた。

左心室低形成症候群――

聞いたことのない病名に、由香里さんはあっけにとられた。赤ちゃんには心臓の左心室という部位に異常があり、全身に血液を送ることができない状態だという。由香里さんが通っている病院で手術を行うことは困難で、生まれてすぐドクターヘリを使って県外の病院へ運び、手術をしなければならないという。しかも、手術は生後複数回に及ぶにもかかわらず、成功する確率は低いそうだ。
追い討ちをかけるように医師からは、「心臓の症例の中でも最悪な状態で、データで見てもとても悪い。まだ若いし、今回は諦めて次の妊娠を待つ方がいいよ」と言われ、由香里さんは頭が真っ白になり、何も考えることができなかった。夫婦は放心状態のまま帰宅した。

疾患を抱え、不妊治療でようやく授かった待望の我が子。胚移植の瞬間から感動をくれた我が子。ようやく夫をパパにできると思ったのに。
家計を支えているのは夫で、不妊治療の費用も大きな負担となっている。その上、遠方まで通院したり、仕事を継続的に休むというのも難しい。自分たちの生活でいっぱいいっぱいの中、治療費を工面しながら、赤ちゃんを看護して育てていけるのか。
我が子の命を諦めたくはなかったが、諦めざるを得なかった。

医療従事者ゆえの苦悩

由香里さん夫婦はともに看護師をしていて、医療従事者がゆえに手術や治療の辛さや苦しさを、身をもって知っている。夫は、手術室専属の看護師であるため、我が子の手術がどれだけ難しいか理解していた。由香里さんは、まだ小さい我が子にメスを入れられる恐怖や、人工呼吸器に繋がれ管を何本も刺される我が子を想像するだけで、苦しみを感じた。

インタビューの際、由香里さんは緩和ケアを例に挙げた。
意思表示ができない患者に代わり、家族が延命措置の判断を行う場合がある。家族が延命措置を望めば、心臓マッサージでも点滴でもなんでも行う。望まなければ、痛みをとったりその他家族や本人が望むことを行う手伝いをする。夫婦ともに医療のプロとして、そういう選択肢があるということを知っていた。
我が子にとっての幸せは何なのか。息子に聞いたわけではないからわからないけれど、痛い思いはしてほしくなかった。
夫婦でその子が幸せに思えることをしてあげよう。羊水検査の前に夫が言った言葉を思い出した。

我が子への愛

陣痛の痛みで放心状態となっていた由香里さん。赤ちゃんが出てきた感覚がわかった瞬間は、痛みからの解放で悲しみを感じる間もなかった。部屋に戻ってすぐ、助産師から伝えたいことがある、と言われた。
「赤ちゃんね、まだ生きてるの。会いたい?」
会いたいに決まっている。助産師さんにそう伝え、息子と対面した。
産声こそないものの、呼吸しており、手も動いているように見えた。そこに我が子の命を感じた。

元気に産んであげられなくてごめんね。大好きだよ、愛してるよ。生まれてくれてありがとう。お別れしたくなかったんだよ。ごめんね、ごめんね――。

由香里さんは有らん限りの声をあげて、涙を流しながら我が子に伝えた。

息子は命を終えるためだけに生まれたわけじゃない。羊水検査も陰性だった。人の姿かたちをしていた。身体はどこも欠けることはなかったけれど、ただ一つ、心臓だけが欠けてしまった。それでも、あんなに大きく育ってくれて、頑張って生きた姿で私たち夫婦に会いにきてくれた。

インタビューを通して我が子への愛情を、言葉の限り伝えてくれた由香里さんだが、自責の念は消えることがない、と最後に話した。

由香里さんが棺に入れた、我が子にあてた手紙

(写真=由香里さん提供/取材・文=SORATOMOライター いしどう まさこ)


この記事は、2023年11月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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