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生後2日での先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死―当事者の声 その時#08

赤ちゃんは、十月十日という長い期間、ママのおなかの中で過ごす。母親は、人生で経験したことがないような痛みを乗り越えて、子どもを出産する。そのため社会では、妊娠・出産において、「父親より母親の方が心身ともに大変」という認識がされている。これは妊娠・出産に限らず、ペリネイタル・ロスに対しても、そのような社会風潮があるようだ。はたして、赤ちゃんとお別れをした父親は、母親ほど悲しみや辛さを感じていないのだろうか。

今回は、初の試みとなる、赤ちゃんとお別れをしたパパへインタビューを行った。ママの視点とは異なる、妊娠中の感情や考え方を聞くことができた。また、父親ならではの、役所での事務手続きにおける苦い経験も語ってくれた。

「先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死―当事者の声 その時#07 ママ編」はこちら

生後2日/先天性横隔膜ヘルニアによる新生児死

名前:石堂雅昭さん
地域:海外在住
職業:会社員・企画職
家族構成:ママ(36歳)、パパ(40歳)、お子さんがお空に3人(2人は早期流産)
男性不妊のため、精巣内精子採取術(TESE)で精子を採取。その後、顕微授精をし1回目の胚移植で妊娠した。先天性横隔膜ヘルニアにより、生後2日で新生児死となる。

「今もあのアラーム音を聞くと、トラウマで吐きそうになります」

そう語るのは、今回インタビューを引き受けてくれた雅昭さんだ。当サイトの運営をしている、一般社団法人SORATOTOMONIの代表理事である石堂の夫である。雅昭さんは、息子さんが亡くなる間際に鳴り響いていた心電図モニターのアラーム音が耳にこびりついて離れず、トラウマになっていると語る。当時の悲痛な経験を、赤ちゃんとお別れをしたパパの視点から振り返り、語ってくれた。

よくない知らせ

私たち夫婦は、初めての胚移植で子どもを授かることができた。不妊治療の過酷さは耳にしており、男性不妊だとわかった時、最初はその事実をなかなか受け入れることができず、さまざまなことを理由に治療を数年引き延ばしていた。不妊治療を開始してからは、子どもが欲しい、その一心で臨んでいたため、妊娠がわかった瞬間は心の底から嬉しかった。それと同時に、「意外と簡単に妊娠できるんだ」と安堵した。

妊娠中は海外に単身赴任していたため、妻のそばで一緒に過ごすことはできなかった。妻のおなかが大きくなっていく様子や、子どもの成長を間近で見られないのは少し残念だ。休日に妻とビデオ通話をしたり、妊婦健診の結果を聞いたりしていたが、やはり、子どもができて自分が親になるという実感はあまり湧かなかった。

妊娠27週の頃、妻から連絡が来た。

今日は、妊婦健診の日だった。何かあったのだろうか。胸騒ぎがする。

妻が言うには、「赤ちゃんの胃と心臓の位置がおかしい」らしい。妻は淡々と説明してくれたが、電話越しに聞こえる声は震えているように感じた。私は、突然の出来事にどういうことなのか理解できず、戸惑うばかりだった。

数日後、息子には「先天性横隔膜ヘルニア」の診断がついた。ビデオ通話で医師の説明を聞く。医師は、わかりやすいように紙に絵を描いて説明してくれた。亡くなる可能性も示唆されたが、どこか現実味が無く、まだ何とかなるんじゃないかと甘く見ている自分がいた。

祈りの行方

さまざまな診療科の医師から説明を受け、そのたびにビデオ通話で同席する。毎回、息子の生存率を上げるための方法を説明されるが、良い話ばかりではない。耳を塞ぎたくなるような想いで、合併症や後遺症などのリスクについて説明を受けた。

それからの日々は、長いようであっという間だった。

出産予定日が近いため、病院まで妻を送った。

新年を迎えるめでたい時期なのに、私たち夫婦の気持ちが晴れることはない。「先天性横隔膜ヘルニア」と診断された息子が無事に生まれるのか、元気に生きて育ってくれるのか、先が見えない不安でいっぱいだった。その一方で、答えの出ない問いをなるべく考えないように避けて過ごしていた。

妻を病院へ送った帰りに、安産祈願で有名な神社へ足を運んだ。

「どうか、妻と息子が無事でありますように」

心の中で神様に、そう強く願った。

妻の涙

もうそろそろ産まれると連絡が入り、急いで病院へ向かった。生後すぐに処置があるため、息子に会うことはできなかったが、妻とは面会できた。出血量も多かったようで、疲労困憊な状態の妻に、「よく頑張ったね」と言葉をかけた。

それから3時間後。外科の医師から説明があると言われ、NICU(新生児集中治療室)の面談室へ向かった。妻は出血多量のため安静にする必要があり、私一人で説明を受けた。医師からは、「かなり厳しい状況であり、3〜4割しか助かる見込みはない」と告げられた。どうしても危ない状態になってしまった場合に最終手段で使用する薬の説明をされたが、息子が助からない可能性を告げられた衝撃でほとんど覚えていない。頭の中は真っ白で、理解が追いつかなかった。

医師からの説明が終わり、半ば放心状態で妻と息子のもとへ向かう。先に息子と対面していた妻が、泣いていた。いつも人前で涙を見せない妻が、大粒の涙を流していた。

あ、本当なんだ。本当に息子は助からないんだ。

この時に、ようやく医師の言っていた言葉を理解できた気がする。息子には、点滴や心電図モニター、人工呼吸器などのたくさんの管が繋がっていた。痛々しくて、得も言われぬ気持ちになった。泣いている妻と保育器に横たわる息子を見て、なにも考えられず涙すら流れることもなく呆然としていた。

耳にこびりついた電子音

その日の夜は、ほとんど眠ることなんてできなかった。夜中に連絡がくるかもしれない不安を抱えながら、長い長い夜をこえた。

翌日の昼頃、病院から連絡があった。急いで病院へ向かう。

いよいよ危ない状態のようで、お互いの両親に連絡を入れる。両親が到着するまでの間、妻と交代で息子を抱っこして、綿棒に母乳を含ませて口へ運んだ。「頑張れ、頑張れ」と何度も繰り返し応援した。途中で妻が退室し、息子と二人きりになる時間があった。息子が自分の腕の中で亡くなるかもしれない。それを一人では受け止めきれないと感じ、「ママが帰ってくるまでなんとか持ってくれよ」と祈り続けた。みるみるうちに酸素の数値が下がり、ピコン、ピコン……と心電図モニターのアラーム音が響き渡る。耳を刺すようなけたたましい高音が、まるで息子の死へのカウントダウンのようで恐怖を感じた。

――その後、息子は家族全員に見守られながら、息を引き取った。

心の支え

妻は病室へ戻り、私は帰宅することになった。

妻の精神状態が心配だったが、ちょうどコロナ禍だったため、病室に泊まる許可は得られなかった。

このまま一人で夜を過ごすのは、正気でいられないと思い、大学時代の友人を食事に誘った。急な誘いに嫌な顔一つせず、会いに来てくれた。友人には、出産予定日が近いということだけ伝えてあった。会ってすぐに、その先の事情をぽつりぽつりと話した。

友人は、「もっと早く言ってくれよ、話を聞いたのに!」と言ってくれた。私のことを心配してくれる友人を見て、あたたかな気持ちになった。その後、息子の話はほとんどしなかったが、たわいない話をすることで、わずかながらも気晴らしになったと思う。友人には、感謝している。

こみあげる怒り

妻と息子が病院にいる間、私は役所に出生届を提出しに行った。病院が言うには、役所に出生届を出さないと、死亡届を記載できないらしい。インターネットで「新生児死 死亡届 出生届」と検索をかけても、それらしい情報はヒットしない。病院に言われるがまま役所へ向かった。

役所に到着した。職員へ出生届を提出したいと伝えるや否や、笑顔で「おめでとうございます」と言われた。役所の職員は、息子が亡くなっていることを当然知らないため、“仕方がないこと”だと感情を押し殺した。言葉に出したくもないが、「我が子が亡くなっている場合は、どうすれば良いのか」と質問した。職員は、「は?」と声を漏らし、戸惑っている様子だった。どのように対応すれば良いのかわかっておらず、そこから1時間近く待つことになった。

役所には、多くの高齢者が来ていた。社会のデジタル化が進み、電子機器に不慣れな高齢者が、役所に支援を求めて来ているのだろう。頭ではわかっている。仕方のないことだ。ただ、自分の状況を考えると、彼らとその対応に時間を要する役所の職員を冷静に見守ることができなかった。

なぜ、言いたくもない事実を伝えなければならないのか。
「おめでとうございます」と祝われ、喜んでいるはずの自分が。

なぜ、役所の職員に気まずそうに戸惑われなければならないのか。
本当は、死亡届なんて提出するつもりではなかったのに。

なぜ、自分がこの場で待たされなければならないのか。
愛する妻と息子と一緒に過ごしていたはずなのに。

――心の奥から、沸々と怒りがこみあげてきた。

ペリネイタル・ロスの認知度の低さ

雅昭さんは、新生児死がマイノリティであり社会の理解が追いついていないこと、そして、国や公的機関の対応がまだまだ整っていないことを繰り返し訴えていた。

厚生労働省の人口動態総覧の年次推移によると、新生児死亡数は年々減少している。2022年の新生児死亡数は、出生数77万人に対し、わずか609人であった。医療がどんどん発達しており、たくさんの小さな命が救われていることがわかる。とは言え、救うことのできなかった命が存在していることも事実だ。

ペリネイタル・ロスは、社会風潮として、「父親より母親の方が辛い」という認識がされがちだが、父親も同じように心に深い傷を負っている。いくつかの研究論文では、ペリネイタル・ロスを経験した父親は、突然の我が子の死に衝撃を受けるが、自分自身の悲しみを抑圧する傾向があるとされている。父親には、親および夫としての役割があり、自分の悲しみを表現するよりも、役割を果たすことに意識が優先されるそうだ。

そのような背景の中で、赤ちゃんとお別れをしたパパは、役所への書類の提出や火葬の手配などの事務処理を行わなければならない。役所や職場への手続きをする際も、毎回子どもが亡くなったという前提を伝えなければならない。そのたびに胸が締め付けられるような思いになり、相手は気まずそうに戸惑う。そして、「レアなケースのため、確認が必要だ」と言われ、長い時間待たされる。ペリネイタル・ロスについて、社会の理解が深まり、国や公的機関の対応が整えば、このような当事者が感じる不必要な苦しみが軽減されるはずだ。少しでも多くの人に、この社会の実態を知ってもらいたい。

(写真=雅昭さん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)

<参考文献>
令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況|厚生労働省|2024.2.23取得
西脇のぞみ、板谷裕美|日本における父親のペリネイタル・ロス研究に関する文献検討|人間看護学研究|2020年|11~20ページ


この記事は、2023年11月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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