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想いを届ける活動を|一心 松本えりな

2024年5月1日にボランティア団体へ登録した一心【ひとこころ】。創設者である松本えりなさんは、2021年に新生児死を経験した。

愛娘とのお別れをきっかけに県外のお話会に参加し、「小さな赤ちゃんの産着」という存在を知る。現在ではマルシェや子ども食堂(*1)で小・中学生のお子さんに協力してもらいながら小さな産着を作成し、病院へ寄付する活動をしている。また、小・中学校の家庭教育セミナー(*2)で保護者や教師に対して講話を行い、ペリネイタル・ロスについて広める活動を行っている。

今回は、えりなさんの当時の悲痛な経験と、一心の活動を開始するまでに至る経緯を伺った。親子の絆が新たなご縁を結び、活動の輪が広がっていく。えりなさんの朗らかな人柄や、一心の活動に込める温かな想いを伝えていきたい。

松本えりな/一心【ひとこころ】創設者

1984年生まれ、愛知県在住。建築関係の自営業をされている。現在は、長男(18歳)、長女(17歳)、次男(8歳)、次女(5歳)、三男(2歳)を育てる母親。2021年10月に肺胞の異形成(Acinar dysplasia)によって、新生児死を経験している。三女である海心ちゃんとのお別れをきっかけに、一心の活動を開始した。

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かすかに聞こえた産声

我が家には、長男(15歳)、長女(14歳)、次男(5歳)、次女(2歳)の四人の子どもたちがいる。賑やかで楽しい毎日を過ごす中、嬉しいことに新たな命を授かった。可愛い女の子だった。私たち夫婦は、新たに授かった命に海心(みこ)と名付けた。今まで4回の出産経験があるが、なぜか今回は分娩時の痛みを怖く感じていた。今までの出産もトラブルなく済んでいたんだ。大丈夫だよね。そう言い聞かせるように、出産に臨んだ。

――2021年10月1日、海心が生まれた。

小さな産声がかすかに聞こえた気がする。でも、今までの出産とは違う。赤ちゃんはもっと大きな声で泣くはずだ。すぐに異変に気が付いた。

次に目にした光景は、生まれたばかりの海心が心臓マッサージをされているところだった。医師や看護師が海心を逆さまにして背中を叩いたり、必死に処置をしていて、まるで医療ドラマのようだった。そして私は、よくあるドラマと同じように、きっと大きな産声をあげて泣いてくれるだろうと信じていた。

変わり果てた姿

海心は奥の部屋に連れていかれ、姿が見えなくなった。

一時間くらい経過し、ようやく母体の処置が終わる。病室へ戻ると、夫から電話があった。耳を疑うような内容だった。

「先生から海心はもう生きられないと言われた。今は救急車で運ばれている」

嘘だ。絶対そんなはずない!!だって、さっき産んだばかりなのに……。夫は何も悪くないのに、責め立てるように何度も声を張り上げてしまった。夫は海心を追いかけ、大きな病院へ向かっている。私もすぐに、海心がいる病院まで向かった。

病院に到着し、車椅子を走らせて海心のいる部屋まで案内してもらった。個室に入ると、目の前には顔がパンパンに浮腫んでいて、たくさんの管に繋がれた赤ちゃんが眠っていた。

――この子、誰?海心ちゃんはどこ……?

ひと目で気付けなかった。先に到着していた夫から「この子が海心ちゃんだよ」と言われ、ようやく理解する。そこに横たわっていたのは、我が子だった。

感情を整理する間もなく、看護師から「抱っこしておっぱいをあげてください」と言われた。管がこんなにたくさん付いている状態で抱っこするの?と戸惑ったが、その言葉でなおさら時間が無いということを実感した。ぎこちなかったが、抱っこをしながら何とか母乳を海心の口に含ませることができた。海心をコットへ戻す。酸素の数値が急激に下がった。慌ててもう一度抱き上げると、ピーッと心拍停止のアラームが鳴り響いた。

海心は、私の腕の中で深い眠りについた。

ママに抱っこされる海心ちゃん

兄と姉と妹

下の子たちは保育園のため病院まで来られなかったが、長男と長女は海心と会うことができた。長男は海心が亡くなった瞬間、大声をあげて泣いた。こんなに取り乱す様子は初めて見た。長女は隣で静かに涙を流していた。海心をコットへ置いてすぐさま息子たちを抱き締める。

「ごめんね。きっとお母さんのせいだ」

涙が溢れて止まらなかった。周りの医療者は、そんなことはないと否定してくれたが、私が海心に会えるのを楽しみにしていたように、息子たちも新しい妹に会えるのを楽しみにしていたのだ。そう考えると、申し訳なさで胸がいっぱいでいたたまれなかった。

砂浜のメッセージ

葬儀が終わり、産後4日目。

夫が海へ連れて行ってくれた。我が家の子どもたちの名前には、全員『海』という漢字が含まれている。それくらい海には思い入れがあり、たまにふらりと立ち寄る思い出の場所だった。砂浜に海心へのメッセージを書く。

みこちゃんありがとう。大好き。愛してる。また会おうね。

目に涙を溜めながら、想いを込めてたくさんの言葉を書いた。お空の海心ちゃんに伝わっているといいな……。海心とお別れしてから、心が動かなくなってしまい毎日暗闇の中をもがいているような感覚だった。この日、気晴らしに海へ連れてきてくれた夫には、本当に感謝している。

砂浜のメッセージ

助けを求めて

海心とお別れし、1ヶ月が経過した。どんな深い悲しみもすべては時間が解決してくれるとよく言うが、どんなに時間が経とうと心の傷は癒えなかった。辛くて死にたくて、心が壊れてしまっていた。縋る思いで、助けを求めに向かったのは、保健所だった。

どうやら、赤ちゃんを亡くして保健所に駆け込んできたママは私が初めてだったらしい。幸いにも保健所の方は「よく来てくれたね」と快く受け入れてくれて、近くに自助会が無いか探してくれた。

――しかし、一向に見つからない。近場にお話会を開催している自助会やグリーフケアを受けられる場所は無かった。この時、赤ちゃんとお別れをした親へのサポートがいかに少ないかを強く実感した。

ある時、インターネットでグリーフケアに関するオンライン講座を見つけたため、受講してみることにした。自分の心の状況を知りながら学ぶことができたので、とても有意義だった。この頃から、自分と同じような経験をした人に寄り添った活動をしていきたいと思うようになり、グリーフケアの専門誌を読み込んだり、ピアサポートについて学んだり、積極的に県外のお話会に参加したりするようになった。

『小さな産着』との出会い

ある日、インターネットで出会ったお話会の参加者から、小さく生まれた赤ちゃんのための産着があることを教えてもらった。自分も作ってみたいと思い、三重県まで足を運んで、産着の作り方を教えてもらった。初めは難しかったが、次第に慣れていき一人で産着を完成させることができるようになった。

我が子とのお別れの時間というのはあっという間だ。私自身、あの短い時間で海心とのお別れをどう過ごすか、考える時間も余裕もなかった。病理解剖でできた傷を見るのが怖く、我が子が亡くなったという現実を直視したくなかった。私は、海心のために用意した産着を自分の手で着せることなく、看護師へお願いした。今でも、あの時の選択を後悔している。

今、私は小さな産着を作り始めたが、その存在を知らないまま、何も着せられずお別れを迎える当事者がいるかもしれない。私と同じように産着を着せるのが怖くて躊躇ってしまう当事者がいるかもしれない。そんな方々に、どうか後悔することのないお見送りをしてほしい。そんな想いを込めて、腕を通さずに着ることができる小さな産着をたくさん作った。この小さな産着を、どこか受け入れてくれる病院はないか……。

最初に思い当たったのは、海心が生まれた後に搬送された病院だった。当時、担当してくれた先生へ事情を説明すると、快く受け入れてくれた。きっとこれも、海心が結び付けてくれたご縁だと思い、嬉しくなった。

初めのうちは一人で産着作りをしていたが、夫や友人、親戚にも産着の作り方をレクチャーしていった。ある時、家の近所に子ども食堂があることを知った。子ども食堂に足を運んでみると、和室に机が用意してあり、産着作りに最適な環境だった。

子ども食堂に来る子どもたちに、小さな産着作りを手伝ってもらうのはどうだろうか?

突発的なアイデアだったが、意外にも産着作りは好評で、今では多くの小・中学生が参加してくれている。お空に還ってしまう小さな赤ちゃんに、ぴったりなサイズのお洋服を着てほしい。それを理解した上で、子どもたちが自分の手で産着の柄を選んだり、型紙に沿って裁断したり、想いを込めて縫ってくれる。たくさんの想いを込めた産着が赤ちゃんの元に届き、ご家族がとても感謝していたと聞いて、私はこの活動をこれからもずっと続けていくと心に誓った。

産着作りを手伝う子どもたち

想いを繋ぐ

えりなさんは、産着作りを手伝ってくれた子どもたちとの関わりの中で、印象に残ったエピソードを話してくれた。

「産着作りに参加してくれた中学生の女の子が、『えりなさんがいなくても、自分が産着の作り方を覚えて、下の子たちに教えられるようになりたい。次の小さな赤ちゃんに繋げていきたい』って言ってくれたんです。その時は本当に嬉しかったですね。子どもたちと話をしながら産着を作ることで、この活動自体が自分のグリーフケアにもなっていると思います」

ペリネイタル・ロスの講話

2022年10月。自分の子どもが通っている中学校でPTAを担当しており、保護者や先生向けのセミナーの講師として海心のことをお話しする場を設けてもらった。海心との出会いを、思い出を、別れを話し、たくさんの人が涙を流しながら聞いてくれた。

講話の後に、保護者や先生方に小さな産着のリボンを縫うお手伝いをしてもらった。我が子のことや小さくしてお空へ還った赤ちゃんのことを考えながら、気持ちを込めて縫ってもらい、とても嬉しかった。きっと、この話を聞いているほとんどの人が、私と同じように小さな産着の存在を知らなかっただろう。命の尊さだけでなく、生まれたばかりの赤ちゃんとお別れをしなければならない現実があるということを知ってもらえたらよいなと思った。

この講話をきっかけに、もっと多くの人にペリネイタル・ロスを知ってもらいたいと思い、自分の母校の先生に連絡を取った。当時の担任は、中学校の校長先生になっていた。その中学校でも講師としてお話できないか交渉し、無事に開催することができた。

心を動かす力を持って

2024年5月。当時海心ちゃんを担当していた医師の名前の漢字【一】と、海心ちゃんの名前の漢字【心】を取り、一心【ひとこころ】と名づけボランティア活動を開始した。

我が子との突然のお別れは、筆舌に尽くしがたいほどに辛く悲しい出来事だった。きっと、この悲しみは何年経とうと消えることのない記憶として残るのだろう。しかし、海心ちゃんとのお別れをきっかけに、たくさんの人と出会い、たくさんの素敵な言葉をかけてもらった。そしていつしか、えりなさんは海心ちゃんに対する「ごめんね」という感情を、「ありがとう」に変えることができたそうだ。姿が見えないだけで、きっとそばにいてくれている。そう信じて、これからも一心の活動を続けていきたいと語った。

最後に、えりなさんはこう言った。

「今後は年齢関係なく、幅広い世代の方々にこの活動を知ってもらい、社会に広めていきたいです。それがいつしか、お空にかえる赤ちゃんやご家族のためになることを願っています」

「赤ちゃんとお別れをしたママやパパへ。苦しい時、辛い時、いつでもメッセージをください。たくさん赤ちゃんのお話を聞かせてください。私もありがたいことに、たくさんの人に寄り添ってもらいました。とても一人で耐えられる悲しみではありません。どうか、周りを頼ってください」

小さな赤ちゃんへ温かな産着を届け、ご家族へ優しい想いを届けたい。病院には、一心のような活動を必要としている人がたくさんいるということを知ってもらいたい。社会には、子どもからお年寄りまで年齢を問わずに、ペリネイタル・ロスの実態を広めていきたい。そんな一心の活動は、きっとこれからも多くの人の心を動かしていくだろう。そして、今回のインタビューをきっかけに、SORATOMOと一心がお互いに手を取り、活動の輪が広がっていくことを願っている。

(写真=えりなさん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)

*1 無料または安価で栄養のある食事がとれる場所。さまざまな環境の親子が情報交換できるコミュニティの場でもある。
*2 子どもたちの健全な育成を図ることを目的に、名古屋市小中学校PTA協議会が名古屋市の教育委員会から委託された事業。 子どもにとって親はどうあるべきかを考え、子どもとともに親として成長する楽しさを学ぶことを名古屋独自の「親学」とし、家庭教育を推進している。


この記事は、2024年8月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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