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妊娠12週未満で、妊娠が継続できなくなってしまうことを早期流産といいます。
早期流産は全ての流産のうち、80〜90%を占めるといわれており、ご自身や周囲に経験された方もいるのではないでしょうか?
週数が浅かったとしても、かわいい我が子とのお別れであることに変わりはありません。「赤ちゃんが来てくれた!」と喜んだのも束の間、突然大切な我が子を失い、衝撃、悲しみ、痛みや不安、葛藤など様々な感情が襲ってくることでしょう。
我が子を失った時の体や気持ちの変化、次の妊娠に向けて……とその時どんな気持ちだったかを教えていただくために「早期流産」を経験した4名で座談会を実施しました。
※処置や麻酔の効果などの医療行為に対する感じ方には個人差があり、あくまで個人の感想をお話してもらっています。
※この先、センシティブな内容が含まれます。
座談会参加者
歩美さん
2013年 8週でお別れを経験。香奈子さん
2024年 9週でお別れを経験。以前にも後期流産2回、初期流産を2回経験。春佳さん
2021年 9週でお別れを経験。不妊治療経験あり。実里さん
2020年 8週でお別れを経験。不妊治療経験あり。※全員お名前は仮名
当時の状況を教えてください
歩美 :私は8週でお別れしています。
状況としては、不正出血が何回か続いていて少し出ては止まってを繰り返していました。いよいよ生理よりも多い出血があって「これは……」と思い、ナプキンを当てて病院に連絡をしたら「そのまま来てください」と言われました。電車で30分くらいの病院に通っていたので、不安に思いながら電車に揺られて、道中もそろりそろりと歩いて移動しました。そこから病院に着いてその場でもう「ダメですね」と言われました。2013年の出来事なので10年以上前になるんですけど、つい最近のことのように思い出します。
香奈子:私は5回お別れを経験しています。後期流産を2回、その後早期流産を3回経験しています。
最初の早期流産は掻把手術。2回目の時は進行流産でもう勝手に出てきちゃって、特に手術とかはしなかったです。2024年5月末に早期流産を経験した時は、心拍が止まっていたので診察から2日後くらいに吸引法で手術しました。
春佳 :私は早期流産を1回経験しています。2021年10月に心拍停止が分かって1週間後に吸引の手術をしました。
実里:2020年6月からタイミング法を何回か続けて、11月にようやく妊娠できたんですが、8週で稽留流産となってしまいました。
胎嚢と心拍は1回目の診察で確認できたんですけど、やっぱり歩美さんと同じように出血が続いて、量は増えたり減ったり……不安な中過ごしていたんです。2回目の診察に行った時にはもう心拍が止まっていました。出血も生理以上にドロドロ出るようになって。数日後に診てみて、「心臓が止まっていたら手術しましょう」と言われて吸引法で手術しました。
当時の気持ち、体の変化について感じたことはありますか?
歩美:当時は妊娠した瞬間が明確に分かるくらい、体が変化したのをすごく感じました。胎動はなかったけど、心拍も確認できてお腹に赤ちゃんがいるんだっていう感覚がありありと分かりました。
手術の時は麻酔が効いていたんですが、起きてからは「あ、もう本当にいないんだ」っていうのが分かりました。自分の一部を削り取られたような感覚でした。欠落感、虚無感……そういうのを最初に感じましたね。それからの感情に名前をつけるなら「寂しい」「悲しい」「つらい」とかになると思うんですけど、体全体がどこかに行ってしまったかのような喪失感がありました。
実里:私の時は「心臓が止まってる」って聞いた後、それでも体がだるかったり、体が火照るような熱い感じがあったんです。でも、処置をして赤ちゃんがお腹からいなくなった段階ですごく体が軽くなったような感覚でした。熱かった体も冷えきってるし、体の状態としては良くなっているんだろうけど、気持ちとしては寂しかった。「ああ、もう自分は妊娠していないんだな」って感じたのを歩美さんのお話で思い出しました。不妊治療でホルモン補充をしていたこともあるので、そのせいなのかもしれないです。
春佳さんはどうでしたか?
春佳:私は前後で体が変わったとかはあんまりよく覚えていないんですよね。
私が流産した時は、早期流産の経験がある友人が2人ほどいて。私自身も頻繁に起こることだっていうのは知っていたので、「心臓止まっちゃったね」って言われた時も、「今回は私の番だったんだな」くらいの気持ちでした。当日泣いて、1週間後に手術をするまでの間は普通に仕事していました。まだ妊娠初期だから全然人に話していないので、職場の中で「私のお腹の中に亡くなった赤ちゃんを抱えているなんて誰も思わないんだろうな」ってむなしい気持ちはありました。
実里:香奈子さんはどうでした? 何回か経験されている中で、違いはありましたか?
香奈子:やっぱり最初の時は妊娠したことが嬉しくて、その嬉しい気持ちが大きかったです。お別れした後は気持ちが凄く落ち込んでいたけれど、寂しさを紛らわすためにものすごく動き回ってました。その後動けないくらい腰が痛くなったことを思い出しました。
2回目の時は「無事に生まれた生活」のイメージが全くできなかったです。もう「そういう運命だったのかな」って思っていました。
実里:そうだったんですね……。直近の話で申し訳ないんですけど、2024年5月の流産の時はどうだったんですか?
香奈子:今まで4回もお別れしていて簡単に妊娠継続できると思っていなかったけど、さすがに5回目はないだろうって思う気持ちがあったので、とてもしんどかったですね。
実里:それはそうですよ。1回のお別れだけでつらいのに何回も繰り返してるなんて、心がどんどん削られていくような感じですよね。
流産の原因について検査はしましたか?
香奈子:直近で流産した時に検査しました。「補助が出るから検査してみる?」って言われて、検査して15トリソミーだったことが分かりました。初めて流産した時は個人病院で検査して、「遺伝子の問題は特になかったよ」って言われました。
実里:やっぱり勧められたから検査したんですか?
香奈子:2回目の時は特に勧められはしなかったけど、「検査できるよ」と言われて、じゃあしてみようかっていう。今回は強く勧められてやりましたね。
歩美:検査はやってよかったと思いますか?
香奈子:やってよかったです。ただ、検査結果が出たとしても、その子によってそれぞれ原因が違ったので混乱してしまう気持ちもあります。
春佳:私は1回目だったこともあって、検査できるかどうかもあんまりよく知らなかったです。
歩美:私も初めての妊娠で「お母さんのせいじゃないよ」って言われたけど、ちゃんと検査しましょうっていう話はなかったと思います。
実里:クリニックだと3回4回と繰り返すと勧められるみたいですね。
手術の内容と感じ方について聞かせてください
掻爬法とは
麻酔後、器具を子宮内に入れて胎嚢を取り出します。
子宮の状態が把握しやすいというメリットがある一方で、母体への負担が大きいという懸念点もあります。吸引法とは
近年では、母体への負担が少ないとされている「吸引法」が広がりを見せています。
一般的には真空手動吸引法(MVA)のほうが吸引力を調整できるため、より痛みが少なくダメージが残りにくいと言われています。
(歩美:掻爬法 香奈子:掻爬法・吸引法 春佳:吸引法 実里:吸引法)
歩美 :掻爬法を経験しました。すごい痛かったです。
実里:ですよね……。麻酔は下半身だけの麻酔ですか?
歩美:痛みに我慢できるのであれば麻酔なしでそのままやる予定だったと思います。でも手術が進んでいくにつれて「いやもう無理!」ってなって、途中から麻酔を入れてもらいました。
※当時の医師の判断によるものです。
春佳:麻酔なしでやることもあるんだ!
歩美:私の場合はそうでした。器具が入ってくる感覚がありましたね。最終的には麻酔が効いたので、そのうちに終わりましたけど。
香奈子:終わった後、痛みはどうでしたか?
歩美:麻酔が体にあまり合わなかったみたいで、痛みより眩暈がひどくなっちゃって。気持ち悪いし目が回るし、しばらく具合が悪かったんですよね。お腹も痛かったとは思うんですけど。
春佳:私は全身麻酔での吸引法で、始まる時点で意識がなくなり、いつの間にか終わっていました。手術中は全然痛くないし、終わってからも痛いと思わなかった気がするんですよね。生理痛くらいはあったかもしれないけど。先生がうまくやってくれたのかもしれない。
実里:私も春佳さんと一緒です。
麻酔がかかるまでの間は「なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう」っていう悲しさとかで涙ボロボロ流してつらかったけど、手術が終わると軽くなった感じがして「なんかハッピー」みたいな。麻酔の副作用か分からないけど気持ちが高揚していました。もちろんその後はいっぱい泣いたんですけど。
香奈子:私は両方経験してます。
掻爬法の時は、麻酔の種類とか分からないんですけど、マスク着けてシューッって。麻酔が効いていない状態から始まって「痛い!痛い!」って騒いでいたら、先生に「痛いのは分かるけど、足に力が入ってて何もできないよ!」って怒られて固まったところで意識がなくなりました。そして気づいたら終わってました。
麻酔から覚めたあとは生理痛くらいだったかな?
春佳:そうなんですね。
香奈子:吸引法の時は全身麻酔でした。麻酔が効いてから手術が始まったんですけど、すごい痛くて。意識もそんなにはっきり戻ったわけじゃないけどものすごい痛みだったのを覚えてます。後から「すごい痛がってたって看護師さんが言ってたよ」って夫から聞いて、「やっぱり気のせいじゃなかったんだ」って思いました。なので、吸引法の方がすごい痛かった記憶があります。
実里:そうなんだ。勝手なイメージで掻把法の方が痛いって思ってたけど、やっぱり個人差があるんですかね?
香奈子:一番最近のことだから頭に残ってるっていうのもあるかもしれないですね。
次の生理はいつ来ましたか?またその時の気持ちは?
実里:覚えてないなあ。覚えている人いますか?
香奈子:大体ですが、1ヶ月後からちゃんと来てましたね。
春佳:私はもともと生理がなかなか来ないので、流産のあとに「生理が来たら受診して」と言われたけど1ヶ月経っても来なかったので、病院行ってピルもらって出血を起こす、という流れでした。初めの妊活からタイミング法をしていたので、ピルを飲んで整えてすぐに始めようみたいな。だから「生理が来ちゃった、悲しい」というよりは「次にいける!」みたいな前向きな気持ちでした。
実里:私もよくよく考えたら、「生理来るまで3〜4ヶ月待ってみて」って言われたけど結局来なくて。流産した5ヶ月後くらいに病院に行って生理を来させた気がします。
次の妊娠に対して前向きでしたか?
実里:私は「怖いな」みたいな気持ちでした。前向きではないですよね。
香奈子:「生理2〜3回見送ってね」っていうその回数までは「次の生理いつ来るかな?」っていう気持ちがあったけど、いざ3回見送って「じゃあ次いこう」ってなった時には怖さがありました。
春佳:私は通院していたので、「じゃあさっそく次いこう」みたいな。診察記録を見てみると、手術をした2ヶ月後くらいにはホルモン剤とか飲み始めて妊活再開してるんですよ。一般的に「3〜4回見送ったらいいよ」って言われてると思うんですけど。うちの不妊治療の先生はあまり関係ないよって。当時30歳を超えていたので、年齢の方が大事かなっていう。だからそんな空けなくていいって言ってくれたので治療再開しました。
実里:SNSとかだとよく「何回見送ればいいの?」って質問している人が多いですよね。先生によって考え方も違うだろうけど。
歩美:それでいったら、「1回見送れば次いいよ」って言われました。次の子に対しては「また同じことがあったらどうしよう」って怖さはあったけど……。前向きでした、子どもは欲しい。
香奈子:うんうん。
歩美:初めての妊娠で流産して悲しかったけど、次の妊娠を考える段階では「妊娠できる体ではあるんだ」って分かったってことを心の落ち着きどころにしていました。
供養の仕方について
香奈子:水子供養しました。1人目の後期流産の時に水子供養して、2回目の初期流産の時はしばらくしてなくて。3回目の流産をした時に「ああ、供養してあげられてなかったな」っていう思いがあって。それで2〜3人目を一緒に供養しました。
実里:お寺には通ったりしていますか?
香奈子:結構行っていますね。
実里:そうですよね。私もお盆の時期は供養してもらったお寺に行っています。暑い中でも長い階段を登ってちゃんとお参り行くようにしてる。私は次の子も死産でしたけど、最初の子もちゃんと自分の子だから大切に想ってあげたいなと思って必ず行ってます。
歩美さんはどうですか?
歩美:それがしてないんです。
春佳:スペースを作ったりとかは?
歩美:それもしてなくて、なんか、心の中にはずっといる、みたいな。形に残したりとか、水子供養に行ったりとかは当時全然発想になかった。じゃあ今から水子供養するのかっていうと、しないかな。「そこにいかなくても心の中にはいる。あの体験があるから今の私がある」っていう気持ちがある。「供養しないから大事にしてない」というわけじゃないと思ってるから。
実里:供養って自分の中で赤ちゃんとのお別れを受け止める為の手段であると思うんですよね。歩美さんの場合は、水子供養しなくてもちゃんとその子との出来事を受け止めて、想い続けることができているから必要ないのかなって思います。
春佳:私も水子供養とかはしてなくて、母子手帳とエコー写真、お菓子をちょこっと飾ってあります。最初の数ヶ月はやってたんですけど、だんだんそれもしなくなって。それで2023年に死産をした時にメモリアルベアを買ったんですが、早期流産をした子には何もないなって思って。それでグリーフケアの団体やイベントを探してる時に、サンキャッチャーを作るっていうのを見つけて。太陽の光を集めてキラキラ光るやつ。それを流産した子のために作ろうと思って参加して、今家に飾ってます。
香奈子:素敵。
春佳:その時にすごく久しぶりに流産した子のことを思い出して、エコー写真とかもまた改めて見ようっていう気持ちになりました。2年以上経ってたんですけど、9週だったので、頭と体、手がちょろっとあるような、キューピー人形ちゃんみたいな形をしている写真で。それを見たらすっごい涙が出てきちゃって。もしかしたら私はあんまり悲しみきれてなかったのかなって思って2年越しにすっごい泣きました。今は死産した子のところに一緒に置いています。
実里:サンキャッチャーって初めて聞いた。今手元にありますか?
春佳:ありますよ。これです。その子をイメージした色を選んで作りましょうみたいな感じでした。
歩美:すごい素敵~!
実里:やっぱり何年経ってもその子のことを想って泣いたり、受け止めることはできるんですね。
仕事はどうしていましたか?
春佳:仕事していました。
香奈子:私は最初の時は、結婚休暇をまだ取れていなかったので、その時の課長さんがそれと有休と合わせてしっかり休んだらって言ってくれて。2週間くらい休みました。熱もずっとありましたね。
2回目はあまり覚えてないです。
2024年5月はちょっと立ち直れなくて、診断書を書いてもらって、1週間ちょっと休みを取りました。
実里:私の時は3週間休みをもらって。フルタイムでバリバリ働いてたんですけど、課長に言ってお休みもらって、夫は休みをもらってなかったですね。その後復帰したんですけど、心拍1回目確認できた時点でもう舞い上がっちゃって、職場の人全員に報告したんですよ。
香奈子:うーん。
実里:その時妊娠してた同期とか後輩もいたんですけど、ちゃんと全員に言って。でもその後流産して、職場にいづらくなっちゃって。流産した2ヶ月後に退職して、その後専業主婦になりました。周りは心配してくれてるし、そんなこと思ってないとは思うんですけど「かわいそうな人」と思われてるような気がしちゃって。周りの妊婦さんのお腹が大きくなっていく姿を見たくなかったっていうのもあって、どうしても心が耐えられなくてやめちゃいましたね。
春佳:しんどいね。
歩美:私は続けてました。お休みはもらってないと思います。体も心もつらかったですね。私の職場が子どもと会う仕事だったので。「みんなこんなに大変な妊娠・出産を経てこんなに大きくなっているんだな。自分はそれができなかったんだな」っていう悲しさがありました。「なんて奇跡的な子達がこんなにたくさんいるんだろうか?」っていう生命の神秘みたいなものも感じたりしながら、「でもお腹の中にはいないしな……」って思いながら仕事していました。
春佳:私は心拍停止を宣言された日が公休日でした。水曜日が公休なんですが、その日の診察で分かり、翌週水曜日に手術日が決まりました。それまでの間は普通に仕事に行ってて、水曜日手術して木曜だけ有給もらって金曜からは普通に働いてました。
実里:えー!すごい!
春佳:私の場合は家にいるといろいろと考えちゃうから、仕事してる方が気を紛らわせられてよかったかも。直属の上司1人にだけ言ったんですけど他の人は知らなかったから、憐みの目みたいなのもなかったからそういう意味では働きやすかったかもしれない。
実里:赤ちゃんとのお別れを経験した世界を知っていると、当たり前に妊娠した後に育っていくっていうのが信じられなくて。今となっては、いつ何が起こってもおかしくないから早々に周りに言うのは良くないよなって思うけど、最初の妊娠だと舞い上がって言っちゃうんですよね。
春佳:分かんないですもんね。
実里:実際妊娠続けられる人もいますからね。
家族には伝えましたか?
春佳:うちは夫と私しか知らないです。
歩美:うちは妊娠した段階で両親にも義両親にも伝えていました。流産した時にはもう母が付き添いで来てくれてたので、そこまで知っていたし、翌日夫から義両親に伝えてもらいました。私が泣いていたので、母も泣いていましたね。処置をするかしないかっていうことをその場で先生にどうするか決めてって言われました。自然排出も選択できたんですけど、「家族とも相談したいです」って母に入ってもらいました。その時は母は流産したっていうことを知らなくて。
私が母に話そうとしたら、もうそこから涙が止まらなくなっちゃう。それで母は察して、泣きながら私の足をずっとさすってくれてたのは覚えています。
実里:そうなんですね。共感して気持ちを聞いてくれる人がいて良かったですね。
香奈子:私は最初の妊娠・流産は実父母も義父母も伝えていたんですけど、2回目以降は私の母にだけ伝えていました。両親が離婚しているんで、父には言ってないです。旦那には「あんまり言わないでほしい」って話をしていたけど……言ってしまって。流産したよって話もしました。
実里:そうなんですね。私はお正月だったのでつわりで気持ち悪い時期に挨拶に行かなくちゃいけないこともあって、妊娠していることを伝えました。その後流産になっちゃって。処置の日に夫も母親も来れなかったので、やむを得ず義母に言って来てもらいました。今まで2人きりで会話をしたことがなかったんですが、お互いに緊張しながら病院に送ってくれたんです。その時に「私も実は最初の妊娠の時に稽留流産をしていて、実里ちゃんと同じだったのよ。その後2~3年しばらく子どもができなくてようやく授かったのが息子なんだよ」って教えてくれて。「我慢せずに甘えていいし、つらいときはつらいって言っていいんだよ」って言いながら一緒に泣いてくれて。それがかなり心に染みました。
春佳:素敵なお義母さんですね。
実里:身近に流産した人がいなかったから、お義母さんがそうなんだって知った時はすごく距離が近くなりましたね。その時は実母よりも義母の方が支えになりました。やっぱり経験してる人と話したりとか、共感してもらえるっていうのは結構心強いですよね。
歩美:否定しないで聞いてもらえるっていうだけで全然その後の心持ち変わりますよね。
実里:心の傷がどれぐらい残るかが変わってくる気がします。ありがたかったです。
記事を読んでいる方に伝えたいことは?
実里:稽留流産だと、自然排出を待つか、それとも処置するかをこっちに委ねられたり、先生の判断で決めたりすると思うんですけど。私の場合は自然排出を待っても大量出血のリスクとか、お腹が急激に痛くなって動けなくなるとか、あと生まれてもトイレで出ちゃうかもっていうことがあったんで、手術を選択したんです。
でも、その前にちゃんと感情……つらいとか悲しいとかいろんな感情を、1回全部吐き出して赤ちゃんと向き合う時間を家族で作ることが大切だなと思っています。その時だけじゃなくてずっと続いてくものではあるんですけどね。
春佳:早期流産ってよくあることだからって言われがちで、「こんなにいつまでも悲しんでちゃいけないかな」みたいに思う人が多い気がします。
でも結局子供を亡くすことって別に流産でも死産でも生まれた子だとしても一緒だと思うので、悲しんじゃいけないとか、そういうことは全然ないと思います。 ちゃんと悲しんでもらった方がいいんだろうな、と。さっき実里さんも言ってたけど抑え込まないでちゃんと向き合って、悲しいなら悲しいって泣いた方がいいなと思います。
歩美:さっき春佳さんのおっしゃる通り、 早期流産って「よくあること」って 言われがちっていうか、よくあることなんですよね。残念ながら。 周りにもなかなか言わない方がいいっていう風潮がある中、実際に言ってしまったことで流産してしまって、 その後の対応がしんどくなるとかもあるとは思うんですけど……。
私たち自身の体の中に赤ちゃんがいたっていうのはもう確かな事実だし。早期流産は医学的にはよくあるんだろうけど、 私たちにとってはそれぞれ大きな出来事だから。「よくあることだから」 っていう処理の仕方はしなくていいんじゃないかなって思います。
私たちにとっては、大切な赤ちゃんだったから。
その気持ちを大事にして、周りになんと言われようと大事な赤ちゃんだったし、亡くなって悲しいっていう気持ちを無理やりなくそうとしなくていいんじゃないかなって思います。
香奈子:初期流産3回した中でもものすごい塞ぎ込んだ時と、スッと「そういう運命だったんだな」と悲しまなかった時といろいろあったから。
2回目の時すごい納得してしまった自分が子どものことをちゃんと思えてなかったのかなって、逆に悲しめない自分がいることに罪悪感があったけど、でもやっぱり1人ひとりその子がいて、自分の子供だっていう気持ちには変わりないから。うーん、悲しめなくても大丈夫って言ったら変だけど、そういう気持ちがあってもいいのかなって思いました。
歩美:なんかあまり悲しむなっていう圧を勝手に感じている中で、「悲しいなら悲しいでいいんだよ」っていう話の流れだったけど、でも今香奈子さんがおっしゃったように、別に悲しまなきゃいけないわけじゃないっていうか。 その時にママが感じている気持ちっていうのがママしか感じられない気持ちだから、それを悲しくないからおかしいとか、逆に悲しいからおかしいとかもないし。それぞれが感じてることっていうのが正解だしその気持ちを否定せずに受け止めていくっていうことが必要だってことなんですかね。
いかがだったでしょうか?
座談会を通して、同じ早期流産でもみなさん色々な気持ちを持っていたり、体験していることがわかりました。
経験した時期や状況は違うものの、自分のお腹で育っていく命の感覚や愛しさは同じ想いをもっているのかもしれませんね。赤ちゃんへの愛情だけでなく、手術に伴う身体の痛みやメンタルの浮き沈みに共感している方もいるのではないでしょうか。
赤ちゃんとのお別れの中でも比較的多くの方が経験している早期流産だからこそ、「よくあること」と受け流し、悲しむタイミングを失ってしまう方もいるかもしれません。「赤ちゃんを失った悲しみ」が訪れるタイミングは人それぞれ。ご自身が感じたときを大切にしてくださいね。
今回の座談会をきっかけに、ママがその時に感じた素直な感情を、ご家族や当事者同士で共有できる世の中になることを心から願っています。
著者(取材・文=SORATOMOライター 富崎 結葉)
この記事は、2024年8月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
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