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妊娠17週でのディジョージ症候群による後期流産―当事者の声 その時 #03

身近に赤ちゃんとのお別れを経験した女性がどれくらいいるか、想像したことはあるだろうか。厚生労働省の統計によると、2022年に16,000人近くの女性が死産を経験しているそうだ。その確率は50人に1人と言われている。そして、多くの女性が流産・死産・新生児死・乳児死などの「喪失」を経験している。この周産期の死別による喪失のことを「ペリネイタル・ロス」という。

世間では、妊娠・出産は「喜ばしいこと」「おめでたいこと」とイメージされることが多い。妊娠・出産報告を受けた時は、「おめでとう」と祝福の言葉をおくることが一般的だ。

それでは、赤ちゃんとのお別れを経験した女性に対して、あなたはどんな言葉をかけるだろうか。当事者の声を聞くと、その場しのぎに「残念だったね」「かわいそうに」と返答される場合や、どのように返せば良いかわからず、すぐに話を逸らされる場合が多い。

目の前に子どもがいないだけで、触れられず、なかったことにされてしまうペリネイタル・ロス。はたして、赤ちゃんとのお別れを経験したすべての女性が、死別した経験を“辛く悲しいもので触れてほしくない”と考えているだろうか。我が子と出会えた経験は、“残念で可哀そうなことだった”と感じているのだろうか。

この記事を読む方へ、赤ちゃんとのお別れを経験した女性が抱く感情の一つをメッセージとして届けたい。そして、今回紹介する希美さんがどのように我が子と向き合ったかを知ってもらいたい。

妊娠17週/ディジョージ症候群による後期流産

名前:松本希美さん(仮名)
地域:北陸地方
職業:会社員(正社員)
家族構成:ママ(28歳)、パパ(32歳)、お子さんがお空に1人、地上に1人(0歳)
27歳で自然妊娠、妊娠17週(妊娠5ヶ月)に後期流産

生きてくれたことを祝福したい 

今回、インタビューに応じてくれた希美さんは、2021年に結婚(当時26歳)。2022年5月に妊娠17週(妊娠5ヶ月)で後期流産を経験している。

出産後の遺伝子検査の結果から、22番目の染色体異常であるディジョージ症候群(22q11.2欠失症候群)だったことが判明した。母親として我が子にどのように向き合ったか、そして今をどう生きているのか、当時を振り返りながら語ってくれた。

幸せな毎日

2022年2月。希美さんご夫婦は赤ちゃんを授かった。
市販の妊娠検査薬でフライング検査をすると、くっきりとした2本線が確認できた。赤ちゃんが来てくれたと知った時は、手が震えてしまうほど嬉しかったそうだ。

やがてつわりの症状に苛まれ、仕事中に何度もトイレに駆け込む日々を送っていた。それでも、このつわりの症状によって、”妊婦になった”と自覚できる嬉しさもあった。
初めての妊婦健診で、ピコピコと元気な我が子の心音を聴いて、より一層愛おしく感じた。

認めたくない現実

妊娠16週目。いわゆる安定期と呼ばれる時期に入り、つわりの症状も落ち着いてきた。そろそろ胎動を感じる頃だが、うちの子はまだのようだ。

今日は2回目の妊婦健診。
天気はくもり。5月に入り暖かくなってきたが、今日は少し肌寒かった。
ぐずついた天気とは裏腹に、そろそろ性別がわかる頃かな?と心を躍らせる。

はやる気持ちを抑えながら、病院に到着する。
おなかにエコーのひんやりとした感覚が伝わった。

あれ?今日は随分と念入りに診ているな……

部屋は明るいのに、先生は暗い表情をしていた。次に発した言葉は、”赤ちゃんの心臓が止まっている”という宣告だった。

嘘だ。そんなはずはない。きっと何かの間違いだ。目の前が真っ暗になり、気が付くとボロボロと涙が溢れていた。まるで違う世界に迷い込んでしまったような感覚。何も考えられない。
先生は涙が止まらない私を見て、落ち着くように椅子に座らせてくれた。

「――こうやって泣けるってことは、お母さんすごいね」

先生は、私をお母さんと呼んでくれた。このやり場のない気持ちを、肯定してくれた。今でもこの言葉は記憶に残っている。

その日は、一旦帰宅することになった。

夫になんて言おう。現実を認めたくない。言いたくない。きっと悲しむよね。申し訳ない――。

そんなことを思いながら、重いドアを押し開けて帰宅した。

2人きりの夜

入院日まで5日間の猶予があった。その間、私はただひたすらに仕事をした。いつも通りに仕事をこなそうと動くが、不意におなかの中にいる赤ちゃんへ意識が向く。まるで、自分が棺桶になったような気分だった。職場の人に悟られないように、隠れるように、人知れず涙を流した。

いよいよ入院の日。入院してすぐに、子宮口を広げるためのラミナリアを入れる。今までに経験したことがないような痛みを感じ、息をこらえながら耐えた。

日が暮れて、部屋が暗くなる。
あの重い痛みは、段々慣れてきた。あと少しで赤ちゃんに会えるのか。いつまでも落ち込んでいても仕方ないよな、と覚悟を決める。一度心が定まったからか、我が子に会えることが楽しみになってきた。

どんな見た目をしているのかな。私に似ているのかな――。

「早く会いたいね」

ぽつりと呟き、親子2人は静かな夜を過ごした。

小さな命

翌朝、陣痛促進剤を入れた30分後に、手のひらサイズの小さな命が誕生した。

触れたら壊れそうな小さな命。病院で用意された白い箱に入って私たちに会いに来てくれた。
小さくて可愛い。自然と涙が溢れていた。
赤ちゃんは亡くなっているけれど、不思議と悲しさよりあたたかな気持ちでいっぱいだった。

「ちゃんと存在しとるよ」

希美さんは、当時の気持ちを切実に語ってくれた。

出産前に、病院の職員が「お悔やみ申し上げます」みたいな雰囲気だったのが不思議でした。これから産むのに、なんで悲しい気持ちにならないといけないんだろう?と思いながら、出産に臨みました。
普通に「おめでとう」と祝福してほしかった。
だって、出産って暗い気持ちでするものではないです。普通の妊婦さんと同じように産むのだから
この子も同じように祝ってあげたいという気持ちでした。

身近な頼れる存在

希美さんが職場へ復帰した後、少しだけ心の支えとなる出来事があったそうだ。

ある日、事情を知る職場の上司と二人きりになった時に、声をかけられた。

「実は、自分も同じ経験をしていてね。多少なりとも理解はできるから、辛かったらいつでも言ってね」

その上司は、希美さんと同じく赤ちゃんとのお別れを経験したパパだった。希美さんは、当時を振り返りこう語った。「周りに誰もいない状態でお話ししてくれて、そのような配慮もありがたかったです。上司が声をかけてくれて、すごく心強かった。本当に心からありがたいと思いました」
希美さんにとって、身近に自分と同じ当事者がいるという事実は驚きだったが、いつでも相談できるという安心感に繋がった。

我が子のためにできること

死別の悲しみを受け止め、大切な人がいなくなった世界でもう一度人生を作り上げていく作業をグリーフワークという。

希美さんは、赤ちゃんが亡くなっていると宣告を受けた後、まず「我が子のためにできること」を探したと語る。折り紙を折る、お花を探しに行く、骨壺や仏壇をどんな風にするかを考えるなどの具体例をあげていた。

赤ちゃんのいない産休中の、とある日。希美さんは、我が子のことを思いながら手作りのグッズを制作してみた。SNSに載せてみたら、多くの当事者から「私も欲しい」と好評の声をいただいたそうだ。それをきっかけに、赤ちゃんとのお別れを経験した当事者に対して、手作りのグッズを制作しようと思い立った。

希美さんは、グッズを制作するにあたって、感じることが多くあった。

全国各地に赤ちゃんとのお別れを経験した当事者がたくさんいて、自分の作ったグッズを欲しいと思ってくれる人がいる。購入してくれた人達から、「これを持っていると赤ちゃんを思い出せる」「お空にいる赤ちゃんを大切に想う気持ちを形にしてもらえたようで嬉しい」などのありがたい反応をいただける。このグッズ販売は、購入してくれる人のためでもあり、自分のためでもあり、我が子のための弔いの気持ちを込めて取り組むことができた。

「我が子のためにできること」を探して始めたグッズ制作が、いつしか希美さんの心を癒し、グリーフワークの一環となっていたのだった。

タブーにしなくていい世界

赤ちゃんとのお別れを経験した当事者の多くは、死別した経験を話さない。これには二つの理由があると考える。

一つ目は、赤ちゃんとのお別れを自分の心の中に留めておきたいからである。プライベートな内容なので、信頼関係が築けていない間柄であればなおさら、話したくはならない。一方で、初対面の当事者同士のおはなし会などでは、互いの気持ちに共感できるため、心の回復に繋がりやすいと言われている。希美さんにとって、職場の上司やグッズを購入してくれた人達は後者にあたるだろう。

二つ目は、周囲の人が腫れ物に触るような、話題を遠ざけようとする環境を作り出してしまっている場合だ。周囲の人にできることは、見守りながら、当人が話したいタイミングを待つことだ。話をしてくれた時は、何も言わずにただ傾聴すればいい。知らず知らずのうちに身近な人を傷つけることがないように、配慮を持った関わりをしていきたい。

最後に、希美さんはこう語った。

「今も、この経験をタブーにしたくないと思っています。我が子との出会いを無かったことにしたくないという気持ちが大きいです」

「世の中に、お空の赤ちゃんのことを話したいと思っている人はたくさんいます。
悲しい、辛い、会えて嬉しい、かわいい、でもやっぱり元気な姿に会いたかった――。
そんな気持ちを話せる相手が見つかることを心から願っています」

赤ちゃんとのお別れによる悲しみは乗り越えるものではない。自分の素直な感情を受け止め、亡くなった我が子と共に生きていくことが必要である。ママが大切な子どものことを当たり前に話せる環境があるだけで、心の傷も早く回復していく。ペリネイタル・ロスを経験した人たちが、少しでも傷つかない世の中になるように、当事者の言葉を届けていきたい。

(写真=希美さん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)

<参考文献>
令和4年(2022) 人口動態統計月報年計(概数)の概況|厚生労働省|2024.1.9取得


この記事は、2023年12月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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