Top 記事一覧 体験談 生後10日での急性腎不全による新生児死―当事者の声 その時 #05

生後10日での急性腎不全による新生児死―当事者の声 その時 #05

妊娠・出産は、奇跡の連続であり、女性の人生にとってドラマのような出来事である。その多くは、感動的であったり、後にも語り継ぐ幸せいっぱいの思い出として残るだろう。一方で、どんなに医療が進歩しても、妊娠・出産の過程で救うことができない命はある。

優実さんは、妊娠・出産には年齢に関係なく危険が伴うことを知ってもらいたいと感じ、インタビューに応じてくれた。赤ちゃんがやってきてくれた時から、幸せな日々が訪れるのだと信じて疑わなかった。健康な自分が、まさか生死を彷徨うことになるとは思ってもいなかった。

これは、生後わずか10日で愛する我が子を亡くした母親の軌跡である。

生後10日/急性腎不全による新生児死

名前:山手優実さん(仮名)
地域:神奈川県
職業:専業主婦
家族構成:ママ(27歳)、パパ(28歳)、お子さんがお空に1人
27歳で自然妊娠、妊娠27週(妊娠7ヶ月)に早産、生後10日で急性腎不全により新生児死となる

心の傷跡

「当時の経験をしてから、ちょっとしたことでも死の恐怖を感じながら過ごしています」

今回インタビューに応じてくれた優実さんは、2023年夏に赤ちゃんとのお別れを経験している。子宮破裂による大量出血で、自身も生死を彷徨うこととなった。

不意に当時の記憶がよみがえり、動悸や冷や汗をかいたり、うまく息ができなくなる時があるという。半年経った今でも、一人で遠くに出かけないようにしているそうだ。

幸せな未来を想像していたが、実際は想像とはかけ離れた、トラウマを抱える体験となってしまった。涙をこらえながら、壮絶な経験を語ってくれた。

崩れゆく日常

2023年1月。体調不良と生理が遅れていたことをきっかけに、妊娠検査薬を使った。赤ちゃんを授かったことがわかり、夫と共に心から喜んだ。

妊娠中の経過は順調。次第に大きくなるおなかと、妊婦健診の度に元気な姿を見せてくれる我が子に愛おしさを感じていた。私たち夫婦は、愛情を込めて「ひめちゃん」と呼ぶことにした。

妊娠7ヶ月に入った頃。自宅で夕ご飯の準備をしている最中に、急激な腹痛が襲ってきた。急いでトイレに駆け込もうとするが、立ち上がることもできないほどの痛みが走る。トイレにはたどり着けず、そのままリビングで倒れてしまった。夫は仕事のため、義母にお願いしてかかりつけの病院へ向かった。

病院に到着する。

依然痛みはひかず、急いで医師に状態を確認してもらった。医師は焦り出し、「自分では判断ができない。もしかしたら危ない状態かもしれない」と早口で告げる。そんなことを言われても、今まで大きな病気をしたことがない私には実感が湧かなかった。

2時間半ほど経過し、ようやく受け入れてくれる大きな病院が見つかった。
長時間痛みに耐え続け、焦りや不安も募り始める。気持ちが追いつかないまま、救急車で運ばれた。

死を覚悟した日

時刻は深夜12時を回っていた。

大きな病院に到着し、さまざまな検査をした。担当医から「今から帝王切開をするしかない」と言われ、その時にようやく危険な状態であると実感した。妊娠7ヶ月で赤ちゃんは未成熟であったが、「赤ちゃんは元気にしてるから、今産んでもNICU(新生児集中治療室)に入れるし大丈夫だよ」と言われ、安堵した。

手術が始まる。
30分くらいで無事に赤ちゃんが生まれ、小さな産声も聞こえた。
ひめちゃんの声を聞いて、今までピンと張りつめていた緊張の糸がほどけていき、ほっとした。

――しばらく経つが、一向に手術が終わる気配がしない。

若い医師たちが、出血が止まらないと慌てふためいている。麻酔の影響で吐き気や震えが止まらず、安全のために両腕を拘束された。冷や汗が止まらない。寒くなってきた。気持ち悪い。誰か助けて。

あ、私本当に死ぬんだ

心の中でそう確信した時、ようやくベテランの医師がやってきた。ひめちゃんが生まれてから、1時間が経過していた。ベテランの医師が、処置のために全身麻酔に切り替えるよう声を張り上げる。そこからの記憶はない。

手術が終了したのは、朝の6時だった。

「一生のお別れかと思った」

次に目が覚めた時は、真っ白な部屋の中にいた。

口に人工呼吸器が挿管されており、声を出せなかった。点滴や心電図モニターなどが繋がれており、ここはICU(集中治療室)であると悟った。周りを確認すると、夫と母と義母が涙を浮かべながら私を見ていた。夫は「もう一生のお別れかと思った」と声を詰まらせながら泣いていた。こんなに嗚咽して泣く彼の姿を見たのは、初めてだった。

そこから先の記憶は、鎮静剤の影響もあり曖昧だ。人工呼吸器が付いている状態で話せないため、家族とは筆談でやり取りをした。

手術中、家族は手術室前で待機していたそうだ。
もともと医師から、「帝王切開は1時間半で終わる簡単な手術」と説明を受けていたのに、何時間経っても終わらない。バタバタと駆け込む医療者。手には輸血パックが入っているであろう保冷バッグを持っていた。まるで医療ドラマのような光景を目の当たりにし、心底不安だったと、夫が教えてくれた。

子宮内膜症と子宮破裂

後日、優実さんは、医師から子宮破裂をしていたことを教えてもらった。

子宮破裂の原因は、子宮内膜症だった。優実さんは、年齢も若く、健康体であったため自分が子宮内膜症を患っているとは気が付かなかった。医師から、普段の生理が重かったか尋ねられたが、市販の鎮痛剤を飲めば緩和されるため、気に留めたこともなかった。

子宮の背中側に亀裂が入り、見えにくい位置だったため、若い医師たちは出血点がどこにあるのかわからなかったようだ。最終的に、出血量は2.7L*(*日本産婦人科学会が定める「産科危機的出血への対応指針2022」では、帝王切開術の出血量は1.5L以上は異常出血であるとされている)。

縦にパックリと裂けてしまった子宮を縫い合わせるために、5時間近くかかったそうだ。

会いたい気持ち

順調に回復し、一般病棟へ移動した。その間、赤ちゃんはずっとNICUにいたが、毎日看護師が元気にしている様子を写真に撮って見せてくれていた。夫は赤ちゃんと面会できていたが、私はまだ立ち上がることができず、寝たきりの状態だったため、会えていなかった。

一般病棟に移ってから2日目。
医師から、「車椅子に座れたら会いに行っていいよ」と許可が出た。まだ全身に強い痛みがある。麻酔の副作用で頭痛もあり、本当にギリギリの状態だった。それでも、どうしてもひめちゃんに会いたくて、車椅子に乗って連れていってもらった。

初めて我が子に会えた時の感動は言葉にできない。
早産だったため、1050gと小さな身体で生まれてきてくれた。保育器の外から眺めることしかできなかったが、可愛くて可愛くて、どうしようもなく愛おしかった。

我が子と対面した直後に、体の限界が来て倒れてしまった。担架で運ばれ、病室に戻る。看護師からは「倒れちゃったけど、それでも会えてよかったね」と言ってもらえた。

初めての抱っこ

入院してから10日目。ようやく状態が回復したため、娘をNICUに残し、退院となった。
久々に帰ってきた家は、リラックスできて心地よかった。

退院した翌日の午後。突然、病院から電話がかかってきた。「すぐ病院に来るように」とのことだった。

急にどうしたんだろう。ひめちゃんに何かあったのだろうか。嫌な予感がする。

夫と義両親の付き添いのもと、NICUに入ろうとする。ドアを開けた瞬間、看護師が走ってきて「早く来てください!」と声を張り上げる。普段の面会の時は、手洗いや長い説明があり、なかなか部屋に入れないのに。

恐る恐るNICUに足を踏み入れると、最初に目に入ったのは、赤く光るひめちゃんの心電図モニターだった。他の人に見えないように仕切りがされている。鳴りやまないアラーム音。医師から、これ以上の治療は治療とは言えないと説明された。

「抱っこしてあげてください」

そう言われたが、抱っこをすることで最期のお別れと認めてしまうような気がして動けなかった。嫌だ。初めての抱っこがこんなに辛く悲しいものだなんて。ひめちゃんとお別れしたくない――。

涙が止まらない。医師がもう一度「抱っこしてあげてください」と言う。もう抱っこするしかないんだ。これで本当にお別れなんだ。残酷な現実を感じ取り、私たち夫婦は初めてひめちゃんを抱っこしたのだった。

医師の死亡宣告が耳に残った。

支えてくれる人

お別れをした後の日々は、言葉では表現できないほど苦しかったという。体に力が入らず、自分はなんで生かされたのかと考える毎日だった。「娘の分も一生懸命生きなければいけない」という気持ちがある一方で、「娘も守れなかった、今後も子どもを産めるかわからない自分は、生きている価値がない」という気持ちもあった。

そんな辛い想いを抱いていた優実さんを支えてくれたのは、義母だった。

入院中、義母はほぼ毎日面会に来てくれていた。退院後も、1ヶ月くらい義実家で過ごしていた。義母は、食事の用意だけでなく、「できるだけ優実ちゃんが外に出られるように」と、ちょっとした買い物のお誘いなどをしてくれた。

当時、優実さんが嬉しく感じた義母とのエピソードを話してくれた。

お義母さんは、「優実ちゃんが助かったこと自体、本当に奇跡なんだよ」と何回も言ってくれるんです。
何かいいことがある度に、「多分、ひめちゃんのおかげだね」と言ってくれて。亡くなったことを他の人に知られたり言いふらされるのは嫌だけど、無かったことにされるのはもっと嫌だから。だから、そういうふうに言ってもらえると嬉しく感じます。

必要なケアをすべてのママに

優実さんは、骨盤矯正をしたいと思い、勇気を出してマッサージ店の予約をした。何度か通ったが、「今日はお子さんはどうされているんですか?」と幾度となく質問された。帰路に就くと、こらえていた涙があふれて止まらなかった。

この経験から、優実さんはグリーフケアの資格を取り、ゆくゆくは、産後のトレーニングなどを勉強して、“赤ちゃんとお別れをしたママのためのサービス”を提供できたらと考えているそうだ。

インタビューを通して、若くして壮絶な経験をした辛さを語ってくれた。身近な人が心の支えになっていたこと。そして、世間では、赤ちゃんとのお別れを経験した人へのサポートが不足していること。それらが、優実さんの言葉を通して強く伝わってきた。妊娠・出産は「奇跡」と表現されることが多いが、決して誇張表現ではない。たくさんの奇跡の連続で、生まれた命なのだ。そして、もちろんお別れをした赤ちゃんも同じく大切な命であると、多くの人に知ってもらいたい。

(取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)

<参考文献>
産科危機的出血への対応指針 2022|日本産科婦人科学会,日本産婦人科医会,日本周産期・新生児医学会,日本麻酔科学会,日本輸血・細胞治療学会,日本IVR学会|2024.2.3取得


この記事は、2024年1月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
※記事内の画像や文章の転用を禁じます

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