流産・死産・新生児死・乳児死などの周産期の死別による喪失を、ペリネイタル・ロスという。ペリネイタル・ロスは、身体だけでなく心にも大きな傷を残し、回復までに多くの時間を要する。死別を取り巻く環境や周囲のサポート状況によっては、心の回復に長期間かかる場合があり、うつ病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神疾患が発症する場合もある。「心の回復」の定義にもよるが、10年以上の年月をかけて、ようやく少しずつ日常に戻っていく人もいる。
今回インタビューに応じてくれた祐衣さんは、妊娠や出産についての理解、特にペリネイタル・ロスの理解が進んでいないことに対する悲痛な思いを語ってくれた。赤ちゃんとお別れをしたママが職場復帰する際の、リアルな実態を知ってもらいたい。
※この先センシティブな画像が含まれます
妊娠20週/子宮頚管無力症による後期流産
名前:中津祐衣さん(仮名)
地域:中国地方
職業:地方公務員(正社員)
家族構成:ママ(28歳)、パパ(28歳)、お子さんがお空に4人、地上に1人(3歳)
1人目 人工流産、2人目 稽留流産、3人目 出産、4人目 進行流産を経験している。2023年5月、5人目の子を妊娠20週(妊娠6ヶ月)に子宮頚管無力症によって後期流産した。
祐衣さんは、過去に何度も流産を経験しており、なかなか出産まで至らなかった。2020年にようやく女の子を授かったが、子どもは2人欲しいと考えていたため、その後も計画的な妊活をしていた。そんな時に授かったのが、幸希くんである。繰り返す流産の経験から、不安を抱きながら過ごす毎日だった。妊娠3ヶ月の時に少量の出血があり、仕事を休んで2週間安静にしていたこともあったそうだ。
どうか、今度こそは……と祈る日々に、突如として暗雲が立ち込めたのだった。
羊水の匂い
2023年5月。その日の天気は晴れだった。
朝、いつも通りに仕事の準備をする。娘の髪を結い、夫と母親に写真を送った。微笑ましい平和な時間が流れていた。
娘を保育園に送り、職場へ向かう。
その日は、私が担当するイベントの日だった。力仕事が伴うイベントだったため、上司に相談し他の人に代わってもらった。とは言え、もともと担当の仕事だったので人任せにすることもできず、バタバタと忙しく過ごしていた。
10時頃、お尻に圧迫感を覚えた。便意をもよおすような感覚だったため、トイレに行ってみると生臭い匂いがする。
――もしかして羊水?
不安になり、スマホで「20週 羊水の匂い」と検索をかけるが、それらしいものは見当たらない。慌ただしい時間帯で、職員はみんな忙しそうにしている。とても相談できる雰囲気ではない。安定期に入っているし大丈夫だろうと思い、そのまま仕事へと戻った。
1時間後、先程の生臭い匂いが気がかりだったため、再度トイレへ行ってみる。トイレットペーパーに赤い血が付着していた。危惧していたことが現実になってしまった。すぐに上司へ報告し、早退して病院へと向かった。
切なる祈り
病院へ向かおうとしたが、母子手帳を持っていないことに気が付く。自宅に置いてきてしまったようだ。急いで自宅へ向かう。その間、夫と母親に連絡し状況を説明する。母親は「救急車で行った方がいいんじゃない?」と心配していたが、痛みは無かったため、そのまま自分の足で向かうことにした。
病院へ向かう最中、おなかも痛みだした。しかもどんどん痛みが増してくる。これはきっと陣痛だ。
病院は目と鼻の先にある。このままたどり着けるか、一抹の不安はあったが、ここで救急車を呼ぶより自分で行った方が早いと判断し、そのまま病院へ向かう。
次第に不安が焦りへと変わっていく。痛みと緊張で手が汗ばんできた。どうか間に合って。そう願わざるを得なかった。
なんとか病院に到着し、内診室でエコーを診てもらう。医師が苦い表情で口を開いた。
「もう流産しかけとるけども、ここではどうにもできん」
私は茫然とした。気持ちが追いつく間もなく、総合病院へ救急搬送されることが決まった。看護師が救急車に同乗し、救急隊員と矢継ぎ早に話している。
まだ流産になったわけじゃない。大きな病院に行けば間に合うよね。きっと大丈夫。
そう何度も自分に言い聞かせ、総合病院へ向かった。
後悔と自責
総合病院に到着し、医師が再度内診をする。「赤ちゃんが結構降りてきてるから、このまま出産することになるけどいいかね?」と問われた。突然の言葉に頭が真っ白になる。つい先程まで、助けてあげられると信じていた。まだ妊娠20週だ。このまま産んだら、延命治療もできない。それくらいは理解している。医師は無情にも、繰り返し同じ質問をしてくる。嫌だと断っても止められるものじゃない。
こんなことになるなら、仕事を無理しなければよかった。羊水の匂いを感じた時に病院に行っていれば。母子手帳を忘れなければ――。
止めどない後悔と自責の念に襲われる。おなかの子とお別れをしなければならないという現実を認めたくない。でも、認めなければならない。自然と涙が溢れてきた。
「わかりました」
震える声で答え、分娩台に移動した。
優しい子
しばらくすると陣痛が止まった。夫へ連絡し、すぐに病院へ来るように伝えた。待っている間に、助産師から説明を受ける。このまま出産になると後悔するだろうと、手形・足形などの「出産後にできること」を教えてくれた。その話を聞いた時にようやく、幸希とお別れをする現実を実感した。涙が止まらない。苦しい。赤ちゃんとのお別れは何度も経験しているが、いつだってこの時ほど押し潰されそうな気持ちになるものはない。助産師が「陣痛が止まったのは、お父さんを待ってくれたんかもね。優しい子じゃね」と言ってくれた。その言葉だけが温かく心に残っている。
――夫が病院に到着した。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「また産んであげることができんかった。ごめんね」
夫は「誰のせいでもないよ。毎日笑って楽しそうにしとったけん、早く会いたかったんかもね」と言ってくれた。少しだけ心が救われた気がした。
時刻は16時。しばらく待っても陣痛が来ないため、陣痛誘発剤を使って出産することになった。30分後に陣痛が強くなり、赤ちゃんはすぐに出てきてくれた。病院の1階で待ってくれていた母親に連絡し、私と夫と母親の3人で泣きながら幸希を抱っこした。
お姉ちゃんと弟
祐衣さんには、娘(当時2歳)がいる。娘さんはママが妊娠していることを知っており、弟になる幸希くんが生まれてくることをとても楽しみにしていた。
当時、祐衣さんは幸希くんを娘さんに会わせるかどうか、非常に悩んだそうだ。早く生まれてきた幸希くんは、26cmと小さく、皮膚も赤かったからだ。しかし、娘さんから「どうしても会いたい」とお願いされ、会わせることにした。弟と対面した娘さんは、「かわいい~!」と第一声。抱っこをしたり、よしよし撫でたり、小さな弟のことを大切にしてくれた。その姿を見て、祐衣さんは涙が止まらなかった。娘さんは幸希くんとのお別れを理解しており、今もたまに隠れて泣いているママにそっと寄り添って、励ましてくれているそうだ。
壊された心
医師から後期流産でも産休を取れることを教えてもらったため、職場へ連絡した。しかし、上司は後期流産でも産休を取れるという情報を知らなかったようだ。「2ヶ月も休みをとるの?」と迷惑そうな反応をされ、私は落胆した。総務に確認してもらい、最終的に産休をもらうことはできたが、私の心には不快感が残った。
妊娠中も、同じような出来事があった。今まで何度も流産の経験をしており、有給も残っていたので、通常の出産予定日よりも2週間早めに産休に入りたいと希望を出していた。すると上司Aから、「8月は忙しい時期なのに、そんな早く産休に入るのはありえん」と辛辣な言葉を吐き捨てられた。その発言に、周りも賛同している様子だった。
最も傷ついたのは、産休が終わり職場復帰をした日だ。職場で陣痛を経験しており、フラッシュバックする可能性があったため、非常に不安が大きかった。しかし、母親からの後押しもあり、勇気をふり絞って復帰することにした。
あの日と同じく、車で出勤する。当時を思い出し、息ができなくなるほど涙が溢れた。やはり、心の傷はいつまでも残り続けるのだ。
職場の人たちと久しぶりに対面する。「ご迷惑をおかけしました」と伝えると、同じ部署の上司Bに呼び出された。正直、今何か言われたら私の心は壊れてしまいそうだった。
彼は、冷たく言い放つ。
「妊娠中も休んでこっちは迷惑しとったんじゃ。それで産休も取るんじゃね?今日は来れたからいいけど、他にもしんどい思いして来とる人もおるんじゃけん、これから先も来てね」
耳を疑った。覚悟を決めて出勤したのに、そんなことを言われるなんて。疲弊しきった心を引きずって何とかここまで来られたのに。心が今にも張り裂けそうで、目からは自然と涙がこぼれた。
彼は続けてこう言った。
「今泣きよって辛いんかもしれんけど、仕事は頑張って来るのが普通じゃね」
――心が壊れる音がした
こんなことを言われてまでなんで出勤しなければいけないんだろう。
私の心を壊した彼らは、結婚していて子どももいる。中には、家族に死産を経験した人もいると聞いた。それなのに、どうしてこんなに心無い言葉を吐けるのだろう。
そんなことを考えながら、その日は自分の心を守るために、それ以上誰とも話さず帰宅することにした。
心の声に耳を傾ける
祐衣さんの職場では、月に1度だけメンタルヘルスの相談員がカウンセリングを実施している。運よく、職場復帰の翌日がその日だった。相談員に、職場の人から心無い言葉を言われ、傷ついた旨を伝える。相談員は、診断書を書いてもらってすぐに休んだ方がいいと勧めてくれた。祐衣さんは、結局2日間の通勤となったが、それで良かったのだと笑顔を見せてくれた。
祐衣さんはその後休職し、少しずつ傷ついた心を回復できたようだ。外出したり、食事をすることが楽しいと思えるようになった。現在は、違う部署に異動し、同僚から「以前と顔が違うよ。笑顔が増えた」と言われることも増えたそうだ。そのように語る祐衣さんの顔には、自然と笑みがこぼれていた。
労働基準法には、「妊娠4ヶ月以上の分娩であれば、流産・早産・死産であってもすべて出産に該当し、産後休業の対象となる」と規定されている。つまり、産後休業は、雇用主が労働者に取得させなければならない法的な義務なのである。社会では、この事実を知らない人が多い。流産や死産であっても、1人の赤ちゃんを宿し、産んでいるのだ。心身ともに負担は大きく、産後は休まなくてはならない。
祐衣さんは、最後にこう言った。
「心無い言葉をかけてくる人もいるけれど、それ以上に自分や亡くなった子のことを認めて支えてくれる人がいます。心の回復には十分な休息が必要で、辛いという心の声にしっかりと耳を傾けてほしいです」
祐衣さんの職場には、辛辣な言葉をかけてくる人が多くいた。しかし、祐衣さんを思いやり、ねぎらいの言葉をかけてくれる人も確かに存在した。その人たちは、「頑張ったね。職場に来られただけで今日は十分だと思うよ」と優しい言葉をかけてくれたそうだ。今の社会には、妊娠・出産したときだけでなく、赤ちゃんとお別れをしたときのサポート、そして当事者のことを想う気遣いや理解しようとする気持ちが必要だ。この記事を通して、赤ちゃんとのお別れという苦しみを経験した方の歩む未来が、少しでも変わる一つのきっかけとなることを心から願う。
(写真=祐衣さん提供/取材・文=SORATOMOライター 小野寺ゆら)
<参考文献>
ⅱ労働基準法における母性保護規定 産前・産後休業(第65条)|厚生労働省|2024.2.16取得
働く女性が流産・死産・出産した場合に適用となる制度についてはこちら
この記事は、2024年2月に取材した際の情報で、現在と異なる場合があります。
当事者の経験談を元に構成しており、同じお別れを経験した方に当てはまるものではありません。
不安な症状がある場合は、医療機関の受診をおすすめします。
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